舞台「ハングマン」高校生モニターの皆さんより感想到着!

明日5月16日(水)より、いよいよ東京公演が開幕する舞台「ハングマン」。

埼玉公演をいち早くご覧になった高校生モニターの皆さんより、沢山のご感想をお寄せいただきました。その第一弾をご紹介します!

高校演劇を頑張っている演劇部の皆さんのご感想なので、かなり見方が専門的!?そして、ネタバレ・後半の展開も含まれますので予めご了承ください。

東京公演をご覧になった方がどんな感想を持たれるのか、今からとても楽しみです!


伏線のはりかたがとてもうまくて見ていくたびにここはこうだったのか、とわかってとても面白かったです。動きや日常会話などがとても自然で本当にその人が立っているみたいでした。
声の高さの使い方も本当に勉強になりました。
場転や暗転中の音響もスっと入ってきて緊張感などを切らさずに見れました。
照明も時間帯が1発でわかるし、雨が降っているのか晴れてるのかもわかって本当に凄かったです。
さらに、暗転に切り替わる時に人に当ててるところを少し遅らせたりして魅せているのが綺麗でした。
大道具は、回ったり雨が降ったりなど驚くことばかりでした。高校生であれを作るのは難しいですが、少し真似してみることなどできるので、ぜひ真似してみたいです。(3年女子 Y・K)


今回、この舞台を見させていただけてとてもよかったです。役者さんの演技の自然さや、込められた感情がとても伝わりやすく感じられて一瞬で惹き込まれてしまいました。そして、舞台のセットもまさか回転するとは思わずとても興奮しました。作りがとても細かく、パブの床がいい感じに軋んだり、飲み物が本当に注がれていたり、雨が降っているときなどは一瞬息を飲むほど驚きました。音響の曲調も同じテイストでもその場面にとてもぴったりで、でも舞台を壊していない感じがとても好きでした。照明は、役者さんを見やすく当ててくださっていて暗転する際にメインキャストがほんの少し残ってから消えるのがとても好きでした。今回見させていただいた中で、音響、演技、照明、道具のすべてがとても勉強になりました。これを糧にさらに精進していければと思います。今回は素敵な舞台を見せていただきありがとうございました。(3年女子 I・N)


最初の死刑が執行されるシーンの心が苦しくなる演技で、私の心はグッと引き込まれました。そしてシーンが変わり舞台のセットが回った時の感動と言ったら、今でも忘れられません。身を乗り出して、思わず「わぁ・・・」と声が出てしまいました。バブのセットは、一度いろんな角度で、願わくば近くで見てみたかったです。特にソファの部分、直角のはずの間取りなのに鈍角に造られていて、そこまで考えて造るんだなと大変勉強になりました。2階へ上がる部分も見やすく造られていました。窓の汚しもすごいなぁと見ていました。雨の時のあれはどうなっているのかと考えたら夜も眠れません。あと回る度にパブの裏のセットが変わっていて、物音も聞こえずどうやっているのでしょうか。本当に凄かったです。あそこまで大掛かりなセットは高校演劇では作れないので、1回作ってみたいと憧れます。
今回の劇で好きなところは、ムーニーが首を締められるところです。ほんとうは締まってないとわかってるのに、あぁ死んじゃう、苦しそう、大丈夫かなと、すごくハラハラしました。息が出来なくて声が出なくなっているところなんか、思い出しただけで喉の辺りがきゅうっとなり胃がグッと締め付けられます。それからムーニーの豹変ぶりに、大変怖くなりました。休憩時間に部員と、こぇー・・・と言い合っていました。休憩が終わり劇が再開するとムーニーの掴めないところにまた怖くなりました。シャーリー役の富田さんは自分達と同年代で今回が初舞台で、でも声量も凄いし上手だし、自分も頑張ろうと思いました。
今回学んだことを糧に、これからも精進していきたいと思います。御招待して下さりありがとうございました。(2年女子 I・Y)


様々な視点から学ぶべき所が多く、とても貴重な3時間でありました。
シリアスな内容の台本にも関わらず、笑いを取るところはしっかりと取られていて劇のメリハリがしっかりしているなぁと感じました。
1番印象に残っているのは、やはりシャーリーを誘拐した疑いをかけられていたムーニーの豹変ぶりです。あんなにも優しそうに話していた男が急に雄叫びをあげるように声を大きくしているのを見て、鳥肌がたちました。
最後になりましたが、僕たちも演劇部として、この「ハングマン」から見習うべきところをしっかりと見習い、少しでもプロに近づけるよう日々精進してまいります。本日はありがとうございました。(2年男子 H・H)


「ハングマン」を見て最初に思ったこと、それはとても単純で、「かっこいい!」でした!
今までテレビ越しに見ていた俳優さんを生で、それも彩の国さいたま芸術劇場で見られて本当に感動しました。舞台が始まってからは、役者さんに釘付けでした。間の取り方とか、セリフの言い方、とても勉強になりました!中でもハリー、アリス、シャーリーの親子の会話や、常連客との絡み、ムーニーを殺してしまうシーン、ピアポイントがパブに訪れるシーンは、目が離せませんでした。それに加え、大道具小道具が本当に凄くて、驚きました。パブのビールを注ぐやつとか、ドアの鍵、窓、ムーニーとシドのシーンの窓など細かいところまで凄くて見ていて楽しかったです。
音響と照明に関して、音は、音量も曲のセンスも好きでした。特にF.Oなど綺麗で良かったです。照明さんは、ハリーとシドの取材シーン、役者が動く度に照明が合っていてかっこいいなと思いながら見ていました。ムーニーとシドのシーンの時の雷も凄くかっこよくて好きでした。
今回、「ハングマン」を見させて頂き、とても勉強になりました。今後演劇をするにあたって舞台の使い方など、参考にしたいなと思いました。(2年女子 K・M)


私は高校演劇をやっている身で、この彩の国さいたま芸術劇場にも1度立たせて頂いたことがあるので、尚更伝わってくる凄さがありました。
先ず驚かされたのは高校演劇では再現出来ない舞台装置。特に驚いたのは、セットごと回転して素早く場転できるシステムです。1度ならず何箇所にもなる装置に度肝を抜かれました。そして、窓の汚し、直角ではなく少し開かれた全体が観やすい構造にプロの技を感じました。
また、それに合わせた照明の再現度はとても勉強になりました。昼間と夜間で光の方角が違ったり、鉄格子の影を写すことで観やすくかつ監獄を表現したり、すごく計算されているなと思いました。
そして、役者の発声も重厚感があり聞いていて聞き取りやすさと貫禄がありました。キャラに合わせた声質と仕草も様々で観ていてとても楽しかったです。シャーリー役の富田望生さんは、私とほとんど変わらない年齢にも関わらず、堂々たる演技に感動させられました。
どの役者さんも素晴らしいですが、私一番の推しはムーニーです。シャーリーとの会話の優しくも怪し気な感じと首吊りの喘ぎ声に心奪われました。
プロの演劇は、やはり感激の連続で時が過ぎるのが速かったです。今後芝居をするにあたって良い刺激になりました。このような機会を頂けて大変感謝しております。ありがとうございました。(2年女子 A・K)


このたびは招待していただき本当にありがとうございました。やはりプロの公演からは学ぶことがとてもたくさんありました。演技はもちろんのこと、舞台装置や照明、音響、すべてがハイクオリティで圧倒されました。
演技面で凄いと思ったことは二つあります。一つ目は首を吊られるシーンのリアルさです。本当に死んでしまうのではないかとヒヤヒヤするほどリアルな演技でした。二つ目は舞台装置が回っている間や照明が転換する間でもしっかり演技を続けていたことです。場転の間もその人の生活は続いているんだなあ、と思いました。
音響や照明も素晴らしく、選曲のセンスも素晴らしく、全ての曲が心に刺さってきました。これらを全部含めての「ハングマン」なんだなあと思いました。
とても楽しくて学ぶことがたくさんありました。ありがとうございました!(2年女子 N・H)


客席についた時に舞台装置を見ただけでこの劇は絶対に一筋縄ではいかないだろうと思いました。最初の場面の、罪人が冤罪を主張するが、聞き入れてもらえず、処刑される演技、演出で一気に惹き込まれました。回転する舞台装置、雨の表現、役者の演技力など細部まで凝っていて、圧倒されました。またこのような機会があればぜひ見に行きたいです。(2年女子 W・S)


今回プロの演劇を初めて観劇し、まず1番に高校の演劇とは違うと思ったのは、役者さんのテンポの良さです。話の受け答えがとても自然で、劇の世界観に引き込まれるのがとても早かったです。そして、とにかく声が大きくて、早口のセリフも滑舌がよく聞き取れないところが見つかりませんでした。焦っている場面でも、セリフはしっかり聞こえて、でも焦りを感じさせられ、すごいと思いました。大げさに感情を顔で表現していたところも、高校生との差を感じました。そして、音響がすごく大きいのも驚きました。特に私が注目したのは雨の音で、ただ単に小さい雨の音ではなく、室内で聞こえる雨の音だったのですごくリアルでこだわりを感じました。これらの学んだことは、今後の演劇に取り入れられるところが沢山あると思うので、より良くしていきたいです。(1年女子 K・A)


PARCO STAGEのスマホアプリ「パルステ!」では、さらにパルステ!観劇レポーターの皆さんの感想も掲載中です。(TOPメニューの「HOT」よりご覧ください)

パルステ!のダウンロードはこちら

またレポートが届きましたらご紹介させていただきます。

舞台「ハングマン」これからご覧になる皆様、どうぞご期待ください!

【ぴあ×パルコステージ特別企画『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』尾上右近密着取材vol.2】尾上右近×G2対談

『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』で、現代劇に初挑戦する歌舞伎界の新鋭・尾上右近さんに密着するこの企画。第2回目は、翻訳・演出を手がけるG2さんとの初顔合わせの場に伺いました!

 2012年にピューリッツァー賞戯曲部門を受賞し、これが日本初上演となる今作を、自ら演出したいと手を挙げたG2さん。薬物中毒から、苦しみつつも同じ境遇の人々とつながり、立ち直っていこうともがく人々の姿を、どう描こうとしているのでしょうか。

 第1回のインタビューでは、G2さんが作・演出した新作歌舞伎に感銘を受けたと語っていた右近さん。初対面とあって少々緊張気味だったものの、G2さんの意図するところを貪欲に吸収しようとする姿が印象的でした。歌舞伎役者の右近さんが、イラク戦争帰りの青年エリオットをどう演じることになるのか。ふたりの対話をぜひお楽しみください。

 また、今回は、エリオットの従姉ヤズミン・オルティスに注目しながら、簡単なストーリーを紹介します。第1回目のエリオットのストーリーも参照しながら、この作品の奥深さの一旦に触れていただけたらと思います。


■STORY■

プエルトリコ出身で現在はフィラデルフィアで暮らしているヤズミン・オルティス(南沢奈央)。音楽の非常勤教授として大学に勤めて1年目で、私生活では離婚問題を抱えていた。従弟のエリオット(尾上右近)には離婚を反対されているが、夫との関係はもう修復しようがないと感じている。そんな人生の岐路にあるとき、ヤズミンとエリオットの伯母であり、エリオットにとっては育ての母でもあるジニーが亡くなった。ふたりは葬儀の準備をし、遺灰を撒くためにプエルトリコに行く約束をする。その頃、エリオットの実の母親でドラッグ中毒者のサイトを運営しているオデッサ(篠井英介)の周りでも、ネットでつながっていた人間たちが動き始めていた。人々はやがて、ヤズミンやエリオットとも交錯していくことに。そして他者とのつながりが、それぞれの葛藤に光を差していく。


 ■尾上右近×G2対談■

Prof_blog

G2 それにしても(現代劇初出演で)大変なものに出ることになりましたね。

右近 その大変さもあまり把握できていないぐらい、何もわからない状態です(笑)。これまで本当に歌舞伎ばかりだったので、とにかくいろいろ教えていただきながら、ぶつかっていきたいと思っているんですけど。G2さんを信じて。

G2 ありがとうございます。ほかのキャストの方々も、最近は同じ人とばかりやることにならないようにと自分でリクエストしないようにしてるんですけど、結果、僕のやり方をよくわかっている人たちが揃ってしまったので(笑)。安心してやっていただけるんじゃないかと思います。

右近 はい。楽しみです。

G2 最初にプロデューサーから右近さんはどうかという提案を聞いたときに、和の右近さんが翻訳ものを演じるのは逆に面白いかもしれないと思ったんです。海外の作品をやるとき、僕はそれをそのまま再現するっていうやり方が好きではなくて、外国人にならなくていいよと言うことが多いんですけど。歌舞伎役者としての感覚を持ち込んで、右近さんがいつも通りにやったらどうなるのかっていうのも、面白いんじゃないかと思うんですね。しかも今回は、歌舞伎の外で女方をやり続けている篠井英介さんに、右近さんのお母さん役をやってもらうので。そのへんの関係も面白いし、日本のプロジェクトでないとできない空気感が作れそうな気がしているんですね。

右近 今のお話を聞いて、自分が経験してきたことを楽しみにしてくださっているというのは、ちょっと救われました。

G2 ただ、イラク戦争に行ってトラウマを持って帰ってきているという状況は、勉強することも必要になると思いますけど。でも、登場人物たちの迷いや悩みは、日本人が心に抱えていることとあまり変わりない気がしますし。作品が根本的に持っているエッセンスみたいなものは、今の日本人が見ても共感できるんじゃないかと思うんです。セリフのセンスもすごくいいですしね。日本人が見てもグッとくるものにしようと思っています。

右近 現に、登場人物のなかに日本人がいるので、ホッとする感じもありますよね。

G2 日本人のことを書いてくれてありがとうっていう気持ちになっちゃうんですよね(笑)。

右近 作品のなかでも、プエルトリコ人や日本人がいて、環境とか背景は違っても、インターネットを通じてそれぞれが共感したり、思いやりを持ったりすることができるっていうことが描かれているので。それがドラッグっていう問題を介して描かれてはいますけど、どこの国でも誰にでも共通する普遍的なテーマの話だなと思います。ただ、登場人物がそれぞれいろんな場所にいて、それぞれの場面にどんどん飛んでいくじゃないですか。それを舞台ではどう再現していくのか、すごく気になっています。

G2 場面が飛ぶのは、僕はわりと得意だし好きなんです(笑)。そのほうがお客さんの想像力を引き出しやすいというか。さっきまでアメリカでの話だったのが、違う人がひとりそこに立つだけで北海道に思えてくるようになると(劇中に北海道も登場します!)、表現の方法が面白くなるので。でも、今回難しいなと思っていることもあるんです。ひとつは、インターネット上で文字で会話している世界をどう表現するかということ。それから、この戯曲は、大きな起承転結の流れがないんです。それでいて不思議と最後には気持ちが浄化されていくようなカタルシスがある。それを今までの型を使わないで実現しているのが面白いなと思っているんですけど、その分演出は難しいだろうなと思っているんですね。そして、有色人種と白人と日本人がいて、人種の不協和音があるっていうことが、アメリカで上演するときはビジュアルだけでパッとわかるんだけど、日本人が演じる場合には人種と言われても……っていう感じがある。この3つをどうするか、稽古までに答えは出てないと思うので、そこはみんなで考えていきましょう(笑)。たぶん稽古場でいろいろ見つかると思うんです。

右近 現代劇の稽古はどう進めていくのかっていうのも、気になっていました。

G2 歌舞伎の世界って、ある意味、今の日本の一般演劇よりも、役者の責任が大きいですよね。衣裳とか鬘といった自分にまつわることは自分でやるし、古典だともともとのやり方を自分で学ばなきゃいけないし。新作歌舞伎でも、数人で掛け合う芝居に勝手に三味線が入ってきたりする(笑)。

右近 あ、そうだ。勝手にやってますね(笑)。

G2 だから、そうやって培ってきたものものは、全部出してもらっていいんじゃないかと思ってるんです。

右近 歌舞伎では、自分の感覚とか表現っていうものをそのまま舞台に持ち出せるものではないので、今回初めて、自分の考えをぶつけてもいいっていう環境に行けるのが楽しみではあるんですけど。でも確かに、何かアイデアを出すにしても、結局、歌舞伎のあの感じを現代的にすると……っていうふうに考えてしまいそうです(笑)。

G2 だから、「ちょっとそれはどうだろう」ってびっくりする瞬間が何度かあると面白いかもしれませんね(笑)。そこから何か生まれるっていうことが絶対あると思うので。でも、稽古が始まるまでに考えすぎないでほしいなとは思います。セリフも自分の解釈を入れて覚えてしまうと、相手の芝居によって変えられなくなっちゃいますし。だいたい腹七分とか八分くらい準備して、稽古場でみんなが集まったときにひらめくものを集積していくことで、できあがっていく。だから1ヶ月稽古する意味があるんですよね。

右近 さっきG2さんが起承転結のない戯曲だという話をされましたけど、僕がこの台本を読んだときの第一印象もまさに同じで、あまり劇的じゃないというか、日常のなかにある些細な起承転結をそのまま舞台にするような作品だなと思ったんです。だからこそ、相手のセリフをちゃんと聞きながら、微妙な心の動きを表現することがより大切になるだろうなと思いますし。僕もそこを大事にして演じたいなと思います。

G2 今回の東京公演の劇場は、ちょっとしたニュアンスもちゃんと伝わるサイズで、僕はそういう劇場が好きなんですけど。逆に言うとニュアンスが欠如すると味わいのない空間になってしまうので、やっぱりすごく繊細に演じていかなきゃいけないんですよね。ある人が言ったひと言ひと言が、ほかの登場人物にどういう影響を与えて、どういう波紋が起き、広がっていくか。チラシのデザインもまさに波紋がイメージされてていいなと思ってるんですけど、一人ひとりが作り出す波紋をほかの人が受け取るっていうリレーションを意識して作っていくと、すごく面白い芝居になっていくと思います。

右近 だったらなおのこと、相手の芝居を受けることを大事にしなきゃいけないですね。歌舞伎もセリフを聞きなさいと言われるんですけど、歌舞伎の場合は、聞いても動いちゃいけないので(笑)、どう受け取ってどう反応するのか、現代劇でそこにチャレンジできるのも楽しみなんです。なんだか今日は、僕のほうがお聞きするばかりになって申し訳なかったですけど、どういう心づもりでお稽古に臨んだらいいか見えてきて助かりました。

G2 いえいえ、とんでもない。

右近 本当にとにかくぶつかっていきたいと思っていますので、どうか受け止めていただいて、教えていただきたいと思います。

G2 一緒に何か考えていきましょうよ。

右近 よろしくお願いします!

【ぴあ×パルコステージ特別企画 『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』 尾上右近密着取材vol.1】 尾上右近インタビュー&スチール撮影レポート

歌舞伎界の新星であり、7代目・清元栄寿太夫を襲名したばかりの尾上右近さんが、「ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル」で満を持して「三足目のわらじ」となる現代劇に初挑戦! パルコステージブログでは、そんな尾上右近さんが初舞台を踏むまでの過程に密着。作品の魅力も存分に紹介しつつ、注目の若き才能がさらにステップアップしていく姿を読者の皆様にお届けします!


【『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル〜スプーン一杯の水、それは一歩を踏み出すための人生のレシピ〜』vol.1】尾上右近インタビュー&スチール撮影レポート

 

2012年のピューリッツァー賞戯曲部門賞受賞作『ウォーター・バイ・ザ・スプーンフル』が日本初上演されます。邦題に“スプーン一杯の水、それは一歩を踏み出すための人生のレシピ”とサブタイトルをつけられたそれは、様々な問題を抱えた人たちが、それぞれに自分の人生を取り戻していく物語です。

 

戯曲を手がけたのは、ミュージカル『イン・ザ・ハイツ』の脚本で知られるキアラ・アレグリア・ヒュディス。今作の上演を熱望したG2が、自ら翻訳し、演出を担当します。そして、主演に歌舞伎界の新鋭・尾上右近を据え、篠井英介、南沢奈央、葛山信吾、鈴木壮麻、村川絵梨、陰山泰、といった実力派が集結。珠玉の物語を紡いでいきます。まずは、そのストーリーをご紹介します。

 

 

 

■STORY

フィラデルフィアのサブウェイで働いているエリオット(尾上右近)は、25歳のプエルトリコ人。少し足を引きずっているのは、イラク戦争に出兵して負傷したためだ。戦場でのあるできごとによって身体ばかりか心にも傷を負い、帰還後はモルヒネ中毒にもなった。人生の目的を見失ったエリオットの良き理解者である従姉弟で大学の非常勤講師のヤズミンも、離婚調停中で人生に行き詰まっている。

そんなとき、育ての母であり伯母であるジニーが亡くなったことをきっかけにエリオットの周りの人間関係がつながり始めた。中心にいるのは、エリオットの実の母でドラッグ中毒者のサイトを運営しているオデッサ(篠井英介)だ。彼女自身も元中毒者で、そのためにかつて幼い娘を見殺しにした過去があるが、今は中毒にあえぐ人々を救おうとしているのである。そして、そのサイトに集まっている多種多様な人間たちにも、リアルな世界での関係が生まれていく。他者とつながりたいと願いながら、拒絶し、葛藤し、その末に新たな人生の行方を見つけていく人々。そのありようは、現代社会の光となり得るか!?

 

 

 

イラク戦争、ドラッグと、戯曲の背景に登場するのはアメリカ現代社会の闇です。しかし、登場人物たちが交わす会話は(主にネット上で)、今の日本に生きる私たちと無縁なものではありません。おまけに、実は日本人も日本も登場するという、親近感を覚えずにはいられない戯曲なのです。

 

PARCO STAGE BLOGではこれから、主演の尾上右近に密着。日本初上演となる本作の魅力をどんどん深掘りしていく予定です。

第1回の今回は、スチール撮影に臨んだ右近さんのインタビューと撮影風景レポートをお届けします!

右近さんは、朗読劇『ラヴ・レターズ』の経験はあるものの、現代劇に出演するのはこれが初めて。もちろん現代劇のスチール撮影も初体験です。しかしながら、昨年のスーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』で市川猿之助の代役を見事にやり遂げた勘の良さと集中力を、ここでもいかんなく発揮!みるみる世界観を作り上げていった右近さんが演じるエリオット、早くも期待大です!

 

●スチール撮影風景レポート●

Nl1_9400s_2

スタジオに入ってまず撮影コンセプトの説明を受ける、真剣な表情の右近さん。

 

Nl1_9469s

白の衣裳から右近さんがイメージしたのは、白いキャンバス。「これから役と作品を自分たちで染め上げていくんだということを象徴しているような気がしました」。

 

Nl0_2991s

歌舞伎ではめったにない目線を外しての撮影も新鮮だったとか。「歌舞伎では拵えをして100%役になって撮りますが、今回は、役と素の自分が半分半分でカメラの前にいました」。

 

Nl0_2994s

スタッフから求められたのは苦しい表情とハッピーな表情。「スプーン1杯の幸せを表現してほしいと言われたのが難しかったですね。苦しいほうは実際に息を止めたので本当に苦しかったです(笑)」。

 

Nl1_9444s

いよいよメインの撮影に。イメージは水中に溺れるエリオット。「薬物に溺れ、トラウマに溺れ、抵抗できない感じを意識していました。ただ、やりながら思ったのは、自分の意志とは別に身体は生きようとするものだなということ。抵抗する力が自然と働くことを、手足の微妙な動きで表現してみました」。その身体の表現力で、どんな写真ができあがるのでしょうか。

 

Nl1_9486s

Nl1_9491s実際に水に濡れての撮影も待っていました。

メイク室で自らどんどん濡らしていく右近さん。

 

イメージに近づけていくスタッフに囲まれて、「みなさんのお考えに乗っかって自分がどう応えられるか。そのちょっとしたやりとりに面白さを感じました」という右近さん。「それがそのまま写真に映っている気がするので、お客様の目に届いたときに楽しみなお芝居だなと感じてもらえればうれしいです」。

 

続いて、作品と役について聞いてみました。

 

●尾上右近 インタビュー●

Nl0_2929s

──現代劇に初挑戦されますが、出演の話があったときはいかがでしたか。

「いずれは挑戦させていただきたいと思っていたのでうれしかったです。こんなに早いタイミングでというのは少し焦りましたが(笑)。でも、本当に歓喜の思いです」

 

──なぜ現代劇をやりたいと思われていたのでしょう。

「これまで歌舞伎だけを修行してきましたが、現代の役者としてもっといろいろなことを経験して、視野や幅を広げていきたいという気持ちが強かったからです。そのなかでも現代劇はぜひやってみたいことでした。歌舞伎は、衣裳、かつら、お化粧、小道具、大道具といったものによってデフォルメされた世界です。でも現代劇は、そういう演じるにあたって自分を守ってくれるものがないに等しいですから、そんななかでいかに役として存在できるのか。見当がつかないからこそ挑戦してみたかったんですね」

 

──しかも、現代劇のなかでもいきなり翻訳劇に挑戦することになりました。翻訳劇をご覧になったことはありましたか。

「何回かあります。歌舞伎にしか目を向けていなかった自分が、ここ2年ぐらい、現代劇、翻訳劇、ミュージカルと、本当にいろんなものに触れるようになって。いろんなものに興味を持ったり手を伸ばしたりするほど、自分自身がわかってくる感覚があるんです。自分に足りないものを思い知ったり、自分自身にどう向き合っているのかが見えてきたり」

 

──実際に演じてみると、さらにいろんなものが見えてきそうですね。

「はい。すごくハードルの高い挑戦になるとは思うんですけど。でも、その壁を打ち砕いていくぐらいのつもりでやりたいと思っています。基本的に僕は、大変なことが好きなタイプで、大変なほう大変なほうを選びたがるところがあるんです(笑)。それはたぶん、本当はすごく恥ずかしがり屋で小心者だからだと思うんですが。そんな自分ではダメだ、そんな自分を超えていきたいっていう気持ちが、大変なほうを選ぶ原動力になっているんじゃないかなと思います。だから今回も、不安を力に変えるということが出来ればいちばんいいなと思っています」

 

Nl1_9371s

──戯曲を読んだ感想はいかがですか。

「エリオットという役に関しては、彼も僕も25歳、年齢が一緒というところでまず捉えてみました。そうすると、エリオットにすごく共感できたんです。もちろん、イラク戦争の帰還兵であるとか、ドラッグ中毒であるとか、直面している問題は全然違いますけども。でも、いろんなことがわかりつつあるけれども、どうしていいかわからない部分もあるっていう、まだ思春期が尾を引いているようなこの年代ならではの悩みとか迷いとか戸惑いは僕にもあって。どんな時代でも、どんな場所でも、変わらず人間というものに常につきまとっているものが、テーマになっていると思いましたね」

 

──ともすればかけ離れた世界に見えますが、私たちの話でもあると。

「はい。みんな誰しも生きていくのは大変だと思うんです。その大変さの理由が、エリオットの場合はドラッグであったり戦争であったりするというだけで」

 

──歌舞伎でいろんな時代のいろんな人物を演じてこられたからこそ、その戯曲の核心が見えるのかもしれませんね。

「それはあるかもしれないですね。歌舞伎も結局最後に残るのは人の心ですから、無意識のうちに心というものに敏感になっているのかもしれません」

 

──翻訳と演出を手がけられるのはG2さんです。

「(取材時の3月9日の時点では)まだお目にかかっていないのですが、作品を拝見したことはあるんです。なかでも印象に残っているのは、作・演出をされた新作歌舞伎『東雲烏恋真似琴』(’11年8月歌舞伎座公演)。人形に魂が入るっていうようなお話を観ながら、やっぱり人の心についてすごく考えさせられた覚えがあります。社会がどれだけ発達しても人の心は発達しないのが面白いなと」

 

──苦しみというものもなくならないし。

「そして答えが出ない。だからこそ演劇というものがあるのだと思います。一旦日常を忘れてその世界に入り込み、そのうえで改めて描かれているメッセージを考える。それは歌舞伎でも現代劇でも変わらないことだと思うんです。だから、日常を忘れさせる世界を作って伝えるっていうことが、今回も大事になるんじゃないかなと思っています」

 

──実際、一旦観始めると没頭できそうな世界ですよね。

「そう思います。場面も場所もどんどん変わっていくんですけど、登場する人たちの心はつながり続けている。そのワールドワイドにつながっていく様が、速度といい、密度といい、すごく面白いと思います」

Nl0_2940s

次回の更新もどうぞお楽しみに!

「TERROR テロ」高校生モニターから感想が届きました

観客の皆さんが実際に投票し、その結果で判決が変わる異色の法廷劇「TERROR テロ」絶賛上演中です。本日1月18日マチネの結果はなんと1票差!連日僅差の結果が出ております。

そんな本作を15日に行われた公開ゲネプロでご覧になった高校生モニターの皆さんより、感想をいただきました。率直な感想の数々をどうぞご覧ください。そして、劇場でぜひ、あなたもこの裁判にご参加いただければと思います。

東京公演は1月28日(日)まで、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYAにて上演しております。また、2月には兵庫・名古屋・広島・福岡公演もございます。

公演情報→ http://www.parco-play.com/web/program/terror/


この度「テロ」を観劇し、まず今まで見たことのない劇のスタイルに大変驚き、劇の世界観にあっという間に引き込まれてしまいました。観客自らが投票するという点に関しては、自分があたかも劇の一員であるかのようで、より劇を楽しむことができました。
また、役者の方々の演技が上手なあまり、まるで本当の裁判所にいるような感覚を覚えました。
劇の内容は、法律や正義について考えさせられるものでした。非常に難しい主題でありながら、高校生にも理解できるストーリーでした。私自身は悩んだ挙句有罪に投票しましたが、結果は無罪となりました。判決文を聞き、果たして自分の考えは正しかったのか、未だに悩んでいます。非常に難しい問題ですが、私たちはこの究極の問いから逃げてはならないのだと感じました。
劇の内容、演出、役者、すべてにおいてとても素晴らしい作品でした。


まず、見に行く前に裁判が題材ということで、どう法廷を表現するのかなと気になっていました。被告や証人の証言を客席側を向かせてするだけで裁判の雰囲気を壊さず表現していて感服しました。役者がホリゾント幕の下から出てくるのにもかなり驚きました。演出の工夫が面白かった分、内容が少し聴いていて重いのが辛かったです。重い、といっても罪の有無や所在などではなく、実際の裁判宜しく役者1人が一回に喋る量が多い。脚本原作が海外の方なのでいまいち世界観にも入りにくく、舞台を見ているのが少ししんどくなりました。もちろん自分の理解力や想像力が欠如しているせいもあります。演技面では被害者の妻の証言での悲痛な叫びが深く印象に残っています。今回の観劇で学ぶことが多くありました。面白かったです。


今回の作品、私は事前情報無しに観劇しました。コッホが検察側から問い詰められ「私がどのように答えても嘘になります。」と言った時私は何かが心に刺さりました。こういう時私だったら綺麗事を言っていると思って、そこにいるコッホに一種の尊敬の気持ちが生まれその中で動いた色んな感情に感動を覚えました。


「TERROR テロ」は、登場人物のほとんどが難しい内容を話していて、観劇している側もかなり頭を使わなければならない作品でした。しかし、聞いているとストーリー全体がちゃんと繋がっていてとても考えさせられました。
セリフは1人の長ゼリフが多く、もし自分がこれを覚えなくてはならないとしたら、と考えると少し怖かったです。特に弁護士を演じていた方はとても長いセリフなのに、話している最中の抑揚がきちんとついていて聞き取り易かったです。他の方の話し方も観ていると自分にないものが多く発見でき、とても勉強になりました。自分が今度演技をする際に参考にさせていただきます。
舞台はテロを中心に進んでいく、題材がとても重いものだったので、観ている最中とても考えさせられました。有罪か無罪かどちらにしようかずっと考えながら観ていました。これは誰に聞いてもはっきりとは答えを出せず答えが割れてしまうような難しい議論でしたので、役者の方の役作りも大変そうだなと思いました。私もこのように人によって意見が分かれるような難しいテーマの作品を演じてみたいです。
観ていて創作意欲が湧いてきました。ありがとうございました。


有罪か無罪か。それを観客である私が決めなければならない。これはかなりのプレッシャーで、投票するその瞬間まで迷いがありました。私がすごく感じたのは、「人を裁く」ということは、本当に難しいということです。

裁判は物事の事実を裁いているように見えますが、わたしには弁護人と検察官の遊びのように見える時がありました。被告人をなんとしても無罪にするためにさまざまな文献やこじつけを使って陪審員に無実を訴える弁護人、原告を守るために根拠、事実を悲劇的に語り有罪を突きつける検察官。本来は「加害者と被害者」というシンプルな図式なはずが、なぜか「弁護士と検察官」という関係になっているように感じました。またそれを裁くのが今回は一般人で、それぞれこ考え方、知識等によって結果は全く変わってしまいます。果たして裁判とは誰のためにあるのか、当事者でないものが話を聞いただけで裁く権利があるのか…。深く考えさせられました。

「アンチゴーヌ」学生モニター感想(3)

舞台「アンチゴーヌ」東京公演は絶賛上演中です。

学生モニターの皆さんの新着感想文をご紹介いたします。

公演は27日(土)まで新国立劇場 小劇場<特設ステージ>にて上演!残り公演が日々少なくなっております。気になる感想文があったら、ぜひ皆さんも劇場へ足をお運びください!

「アンチゴーヌ」公演の詳細はこちら→http://www.parco-play.com/web/program/antigone/


アンチゴーヌとクレオンが持つそれぞれの意思やプライド、大切な人への恩など、自分にとって大切なものが、時に人生を狂わせ、最終的にアンチゴーヌの死へと繋がってしまったことに、恐怖を感じました。アンチゴーヌとクレオンに、権力や家柄などの運命がなければ、二人はもっと幸せに暮らせるはずだったのかな、と私は思いました。

アンチゴーヌが処刑される直前のシーンにある、衛兵に遺書を書かせるところが、私はとても印象に残りました。何気ないような会話が、この後の処刑のシーンをより残酷で、切ないものに引き立たせているのかなと感じました。

衛兵に書かせた遺書は彼女の独白であり、誰にも打ち明けることのなかった本当の気持ちを知って、とても切なくなったのと同時に、アンチゴーヌが社会に抗いながら、自分の信念を貫き通す強さに、とても感銘を受けました。


公演が始まる前に、私はすでにこの芝居に心を掴まれていたのだと思う。
ホールに入ってすぐ、目に飛び込んできたのは、場を細く長く区切る十字形の舞台。周囲は壁に囲まれていて、十字の端だけが開いていた。
円形舞台を観るのは初めてだったので、余計に期待とわくわくが募った。
2人芝居(※1)とは、こんなにも見入るものだっただろうか。
役者の息遣い、ちょっとした仕草、台詞の間合いの取り方、その全てに劇中の人々のこれまで過ごした人生が垣間見えて、それまでの人生そのものに入り込んでいるようだった。
照明、音響、舞台装置と心理描写の表し方が素晴らしかった。
特に最後の天井から砂が流れ落ちてくるシーンは、こぼれていく砂がアンチゴーヌの誰にも理解されなかった思いや涙のように感じて、あの砂がこぼれなくなる日は来るのか、いつかそんな日が来るように、と願わずにはいられなかった。

※1 パルコ注:「アンチゴーヌ」はいわゆる二人芝居ではありませんが、アンチゴーヌとクレオンの二人だけの場面がなんと45分にわたって展開されます!


率直にいうと、想像以上。
私は観る前にネットでアンチゴーヌのホームページに載せてあったあらすじを読んだ。国に反逆した罪にお墓をたててもらえず野ざらしにされた兄の死体を、重い刑に処されることを知りながら兄に土をかけ続けるアンチゴーヌ。そのような内容をざっと見た時に、私の中でのアンチゴーヌのイメージは、兄思いの純粋な、聖女のような清らかな少女。と、神話や聖書に出てくるような(あくまでも私のイメージです)いかにもオチは神様が救ってくれるような「善人」を思い浮かべていた。
だが実際は全然違った。アンチゴーヌという1人の小さな少女の中には燃え盛る情熱の炎があり、孤独に対する悲しさや、世の中に対する憎しみがあった。一番私の心の中に残ったのは、
兄の死体に土をかけるのは、誰の為でもない、自分の為。という言葉と、
小さな幸福はいらない。私は全てが欲しい。そうではないと死んでしまう(うろ覚えだが...)
という言葉だ。叔父であり王であるクレオンと議論した時の言葉だ。アンチゴーヌがまるで1枚、また1枚と自分の本性を暴いていくような感じがし、聞いていくうちに緊張が背中を走った。
自分の信念や感情を曲げたくはない。誰かに規制されるような、縛られるようなことはされたくはない。理不尽のない自由が欲しい。彼女は途中から狂ったように笑って叫んでいたけど、その内はただ真っ直ぐに己のまま生きたいという、言えば純粋のような思いがあったのではないかと私は思う。
建前で自分の心に嘘をついたクレオンに批判し、そんなのは間違っている。どうして自分を偽ってしまうの?と、現代の日本で生活している私達にも通じるような問いかけに、私はこれから考え始めるのだろう。
今回の舞台を観て、アンチゴーヌがもし王女でなかったら。もっと自由に生きられる立場であったら。彼女の人生は全く違うものになったかもしれないと考えると、私は言いようのない気持ちになる。
だが私たちはアンチゴーヌとは違い、死刑を天秤にかけずに自分の思いを声に出せる。ある程度の環境の違いはあるが自由に行動することが出来る。私は彼女の生き様を、一つの舞台に出てきた少女の人格、と捉えるだけにはしたくない。今一度私は私自身に向き合ってみたいと思えた。


私は、アンチゴーヌの婚約者エモンにすごく共感した部分があり、そのことについて書きたい。王である父を尊敬し、理想としていたエモン、そして婚約者であるアンチゴーヌを心から愛していたエモン。その2人を同時に失ってしまった彼の絶望は想像を絶した。何よりも「父親がアンチゴーヌを死なせた」という事実は、何よりも受け入れ難いことだと思う。しかし父との最後の会話の中で、エモンは、人間として自分は父親を超えてしまったことに気づいたのだと思う。もう親子ではなく、ただの人対人になってしまったのだと。そのエモンの絶望が私の胸には強く残り、自分だったらどうするか…と考えた。親子というのは繋がりの深いもの、今までずっとそう思っていたが、実はそうではないのかもしれない。大人に近づくにつれて、かつて抱いていた大きな大人の像が崩されるのかもしれない。私は大人から見ても尊敬できる大人になりたいと思った。


舞台の形が十字でセンターで交差する形になっていました。最初のシーンで人が行き交い無意識のうちに出会っていてその関係性が後半で出てくるのが面白かったと思います。音響のあの音楽は何か人間の生活を彷彿とさせて登場人物一人一人の生活や人生を考えてしまいます。壁に照明を当てて使うのは初めてで興味深かったが、いまいち意図が分からなかったです。私は自分の心の隙間と隙間で話しているのかと感じました。語り手がその場に生きてはいるが関係性が無くしかし存在しているものでとても面白く思えました。後半3人で王様と話すシーンも3人は1つの何かであってその何かと話し悩んでいる王様が非現実的でありました。それは王にとって檻となっている王という名前であり名声であり立場なのかと感じました。アンチゴーヌが洞窟へ行くとき手を天まで差し伸べていたのが生きたいという気持ちがとても心苦しく感じさせました。一人一人の考えや、それぞれの関係性が舞台セットや照明が演出をしていて興味深い舞台でした。


十字型の舞台を客席が囲む形は、どの位置からもこの物語を近くから感じることができた。アンチゴーヌとクレオンの2人が話しているシーンでは、緊迫した会話を大勢の人が聴いている形になり、上の席から観ていた私は裁判の様にも見えた。舞台袖からアンチゴーヌが歩き出すと、細長い道はショーのランウェイの様にも見え、彼女の足取りがより力強く、意思の込もった一歩に感じさせていた。
序詞が冷徹に語っていたのが、この物語で最も重要なアンチゴーヌとクレオンの感情の動きをより際立たせて見せていたと思う。
私は、アンチゴーヌほど強引にではなくとも、自分が正しいと思った幸せや、生き方を貫きたいので、彼女の選択がとても心強く感じた。


ソフォクレスの原作より遥かに長く引き伸ばされたクレオンとアンチゴーヌの対決。それがアヌイ『アンチゴーヌ』の核だろう。古代ギリシャの年取った男と若い女は、どの時代のどこの誰なのかはっきりしない年取った男と若い女として、装飾のそぎ落とされた舞台の上で二人きり向い合わされる。彼らはソフォクレスが描いた二人よりももっと似た者同士だ。感受性に溢れた娘とかつて感受性に溢れた青年だった男が、ありうべき未来の・かつてそうであった過去の自分に対峙し、互いの心のうちを余さず伝えあう。観客席の私はその様子を凝視しながら、男が人生のある時点でした苦渋に満ちた決断にも、女が男の心を知った上でする苦渋に満ちた決断にも、一方で全く同意し、他方で否応なく共感を覚えながら、二人の葛藤の総量で重くなった頭をもたげてカーテンコールを送ることになった。


散文的なクレオン、情熱的なアンチゴーヌの話。
クレオンの悲しみは、大人であることの悲しみ。嫌なことをやり続けながら、小さな幸福を噛みしめて生きながらえること。アンチゴーヌの目的は、絶対的な幸福をこの一瞬に捕まえること。その為に彼女はクレオンの提案を否定して自ら死を選ぶ。
アヌイによる翻案が素晴らしい。アンティゴネーを活かしながら主題を明確化させることに成功している。たとえば「やるべきか、やらざるべきか」という言葉はハムレットからの引用だが、クレオンはこれに「しかし一度やると決めればやらねばならぬ」と続ける。ハムレット的な悩みは誰にもあるが、そこに留まることは子供的で、大人はそこから進んで行かねばならないことを見事に表していた。
ソフォクレスとの大きな違いはクレオンに出ている。アヌイのクレオンは、アンチゴーヌとエモン、妻の相次ぐ死も歎くことなくただ静かに受け止める。彼の役回りは悪い、だがこんな日でも時間になれば彼は会議室に向かうのだ。この翻案には神が出てこないため、この悲劇の責任をクレオンだけが負うのが印象的。クレオンを演じた生瀬勝久の実力が十分に発揮されている名作。


あくまで自由を求めるアンチゴーヌ、さらにそれによって今また連鎖しようとしている悲劇というものそれ自体を相手にしたクレオンの孤独な戦いが胸に迫る作品でした。特に生瀬さんの演技に感動したのですが、中でもどうしようもなく凡庸な人物である衛兵というキャラクターを、場を緩めることなくさばき、シリアスな雰囲気の中に馴染ませる演技は本当に見事だったと思います。
原作から2千年余り、現実においてもフィクションにおいても数え切れない悲劇を生み出し、悲劇なるものへの自覚を高めすぎた人類が、それでもなおアンティゴネーを美しいと感じるのはなぜなのか、彼女とその一族の物語を必要とするのはなぜなのか、アンチゴーヌはそのような問いに対する非常に美しい解答であるように感じました。最後に蛇足ですが、眼鏡の衛兵さんがとても好きでした。


アンチゴーヌとクレオン、両者の正義に嘘はない。のにもかかわらず、あの理不尽な結末になることを無力な観客は止めることが出来ない。それは、登場人物たちも一緒だっただろう。観劇後、受け止めきれず茫然としてしまった。
複雑な感情をあの主演2人だからこそ単純化せずに伝えることが出来ていた。
主演の2人以外の役も細やかに描かれており、王族の庶民を軽視するような発言によって“どんな階級の人にも同じ人生がある”というのが逆説的に描かれていた。
“ルールと自由”“善と悪”“王族と庶民””現実と演劇”“過去と現在”といったテーマに関して、0か100かではなく、間にある無数の可能性に対して想像力を持とうよ!と終始訴えられている気がした。
栗山民也「演出家の仕事」を読むと、冒頭部分に、
“私たちの生活のなかで何度となく使う「はい」と「いいえ」とのあいだにも、無数の感情や表現がある……「はい」と「いいえ」とのあいだ、あるいは開いた手のひらと閉じた手のひらのあいだに、人間としての無数の感情の襞があることを知らなければなりません。”とあることから、これは栗山さんの永遠のテーマなのだなと確信した。
あとは、十字の舞台美術が興味深かった。照明も明るいため、真正面にいるお客さんたちの顔が常に見え続けるため、ことあるごとに“客としての自分”を感じ、終始冷静に観られた。


「本当の愛」について考えさせられ、人間が社会で生きていく中で出会う「矛盾」「葛藤」が大きく描かれていました。それと同時に理想と現実の壁がはっきりと見える、そんな舞台でした。
それは今の社会にも通じると思います。「嫌いなものを嫌いと言ってはいけない」そうすると、社会からは除外されてしまうから、だからみんな口を揃えて同じことを言う、劇中のアンチゴーヌの葛藤は凄まじいものであり私もとても共感できるものでした。
しかし、逆に「受け入れる」とはなんでしょうか。もし、アンチゴーヌが言われたことをいい、言われたようにする、そのように受け入れたことで何かが変わっていたのでしょうか。今も昔も変わらない、それぞれの「幸せ」や「愛」の形を感じました。
音楽については、それぞれ音の色とシーンの色に少しずれや濁りがあり、そこがまた興味深かったです。
目線から何から、役者それぞれの演技が光り、華があり、それぞれの色が叩きつけられ、その色が最後は混ぜられたそんな舞台だったと思います。
またそれにはパワーがあり、人と人との物理的な距離感、心の距離が一つ一つ丁寧でした。そう思えたのも、素晴らしい演出があったからです。全ての色を計算されつくした演出、とても感動しました。
今も昔も変わらない、「愛」とは残酷で美しいものだと改めて実感しました。そして、なにもかも死ねば終わりなのです。
「大人になるとはどういうこと」なのでしょうか。

「アンチゴーヌ」学生モニター感想(2)

「アンチゴーヌ」学生モニターの皆さんのご感想第二弾をご紹介いたします。今回も歯に衣着せぬ鋭い感想の数々となっております。どうぞご覧ください!


この劇場に来たのは初めてでした。
クロスの舞台を客席が囲む。
舞台セットは、椅子だけ。
不思議な世界観の舞台でした。
アンチゴール役の蒼井優さんが出てきた時、まず細いなって思いました。
役に合わせたのか、やつれてる感じがよかったです。
蒼井優さんは、30代なのにまるで小さな子供が騒いでるような幼さを感じました。
アンチゴーヌの強く、かっこいい姿にとても胸を強く打たれました。
アンチゴーヌの声にならない悲痛の叫びが表情から感じられ観ていてとても悲しくなりました。
自分に自信の無い女の子。
小さな小さな守ってあげたくなるようなそんな女の子でした。
家族のことを思うなら、兄を見捨てて残った姉や婆やを救ってあげるべきなのかもしれません。
でも、それができないのはこの子は純粋すぎるからなのだと思いました。
この作品は誰が悪いわけでもない。
純粋すぎる作品なんだと思います。
アンチゴーヌは、ただ兄を救いたかっただけ。
クレオは、王としてのプライド。
国を収めなければいけない孤独な心。恐れに勝ちたかっただけ。
兵士だって、家族を守るために情けを捨てなきゃ行けなかっただけ。
人間の当たり前な心を純粋に描いただけ。
それが悲劇となってしまった。
結局誰も救われないのです。
それが、とても悔しくて悲しかったです。
アンチゴーヌとクレオ王が自分の言いたいことを叫び続ける場面は、お互いの気持ちは分かるし。
他に、解決する方法も無かったのだと思います。
生瀬さんは、本当にこの王様は悲しい人だと思わせる演技力でした。
作品としては、難しかったのですが、新しい舞台の幅が広がりました。
この作品に出会えたことに感謝しています。
ありがとうございました。


自分は最初に十字型の舞台を見て今まで特殊な形の舞台は見たこと無かったので面白いなと思いました
十字型なので中心に一人いて周りの人が囲むと逃げ場がないという威圧感を感じました
でも十字型なので自分の席の横側の方に人がいると見づらくなってしまったりもするんだなと思いました
劇中で何回か下に降りてきてすぐ目の前に来た時はさらにすごい迫力を感じたのと本当は手を伸ばせばとどいて触れる距離なのに目の前にあるのは全くの別世界で仮に手を伸ばしても触れないんじゃないかと思うほどでした
真ん中の穴に落ちる時途中までは階段に見えたけど途中からは違うように見えたのでどうなっていたのかということと最後に落ちてきていた砂はどのような意味だったのかが自分には分からなかったので気になりました


今回の舞台でまず最初に衝撃だったのがやはり舞台の形です。十字架のような舞台に、椅子が2つ。そして照明が下がっているというなんとも不思議な空間でした。
舞台中に役者さんがすぐ目の前を通るのも迫力を感じました。

そして、世界観も本当に素敵で、蒼井さんの全身で表現する姿や、登場人物の全員が必死に生きていて、心情の変化や事情がとても現れていてリアルを感じました!

内容は少し難しかったですが、視覚が本当にたのしくて、客席にきたときにさす陽のような光や十字架にまっすぐ線を引いたような光、ラジオのような音質の音楽などの聴覚も重なって、全く飽きることなく世界観に引きずり込まれました。


今回観劇できて、本当に光栄でした!
ありがとうございます


1月8日、新国立劇場で舞台「アンチゴーヌ」のゲネプロを見た。
劇場に入ってまず興味を引かれたのは、客席が十字型の舞台を囲むようにして設置されていたことだ。私は今までこのような客席の配置で観たことがなかったので、新国立劇場が全く別の劇場のように感じて、これから何が始まるのか、期待が高まった。
 舞台は、客席との距離が近く、臨場感に溢れていた。舞台を観る、というよりも、見てはいけない世界を覗き見ているような感覚に近かった。
 最初は、自分のしたいように生きたいと強い信念を貫くアンチゴーヌに共感した。しかし、クレオンとの長いやり取りを聞いているうちに、両者とも、自分の主義があり、正と悪の戦いではなく、正と正のぶつかり合いなのだとわかった。これは、現代の世の中にも通じるところがあると感じた。
大人になるという意味や、人々にとって本当の幸せとは何なのか、など沢山のことを考えさせられた作品だった。


目と鼻の先で繰り広げられる人の正義のぶつかり合いに、ずっと見入ってしまった。アンチゴーヌとクレオンが持つそれぞれの信念は、同じ「信念」という言葉で片付けられても全く異なるものに感じた。

アンチゴーヌの、自分の心に忠実に従った、傲慢で何もかも壊してしまうような信念。クレオンの、国の安定を守るがために、たくさんのものから目を背けるという信念。純粋すぎるアンチゴーヌの信念は、結果として己や愛する人の身を滅ぼしてしまう。しかし、本当は自分のことしか守ろうとしておらず、たくさんの人を失望させたクレオンの信念のほうが、私は脆く愚かで罪深いと思う。

でも、今生きる私たちのほとんどの人は、そのクレオンの考え方で生きているだろう。いじめだって、見ているものは「仕方がなかった」と言って自分を守るために息を潜める。怖がって本当に正しいことをしない。確かに声を挙げた先には悲劇が待っているかもしれないが、私にはその道を選んだアンチゴーヌの姿が美しく見えた。「子供だ」と言われたこの信念を、私は大人になっても何とかどこかで持っていたい。

今まで神話を題材とした舞台をいくつか見たことはあったが、毎回どこかで取っつきにくい感覚を覚えるものが多かった。でもこの作品では、舞台の進行がわかりやすく、登場人物の心情をしっかりくみ取る余裕が持てた。また、役者との距離が近いため緊迫した息遣いや表情を鮮明に観られて、物語により入り込むことができた。とても面白く、考えさせられる舞台だった。もう一度見たいと思った。


客席に入った瞬間驚きました。十字型の舞台は初めてでした。終始、反対側に座るお客さんと向かい合わせで緊張が続きました。有り難いことに一番前のお席で拝見させていただき、迫力満点で役者さんが吐かれる唾まではっきり見えました。蒼井優さんは、アンチゴーヌの心の葛藤や狂気を見事に演じられていて、その迫力に思わず口をぽかんと開けて見入ってしまいました。生瀬さんは王としての責任や立場に苦しむクレオの哀愁や威厳を細かく表現されていました。私は終演後、オペラの『アイーダ』を思い出しました。アイーダは愛する人と結ばれるために自ら穴に入っていきますが、アンチゴーヌも自ら死を選び、穴の中で死と共に愛する人と結ばれるという結末はどこか似ていると感じました。私は『人間は亡くなった人を穏やかに忘れていく』という台詞が印象に残っています。人間は儚いと切なくなりました。でもだからこそ、今を大切に生きようと思いました。高校卒業間近に、改めて人間の個々の一生について考えることが出来ました。今回、このような貴重な機会を頂いたことに感謝いたします。


舞台を観て私は、アンチゴーヌが嫌いだ。と思った。1人の人間としてアンチゴーヌが私には受け入れられなかった。
私は彼女に、私に足りていないものを突きつけられた感覚を覚え同時に追い詰められてしまったのだと思う。もしかしたら私の立場はクレオンと同じなのかもしれない。

十字路に設置された舞台は、開場した人達にガツンと強い印象を与える。小劇場の空間を余す事なく使い、アンチゴーヌのスケールの大きさを表しているように感じた。音響、照明とともに凝った印象であり、あの世界観をしっかり支えているように思えた。

私が今回一番、舞台上で目を負ってしまったのはクレオだ。
最初は王の偉大さが彼の背中や仕草、言葉から感じる事が出来た。しかし、終盤に行くにつれ彼の放つ生命力が急に小さくなったように感じた。それはアンチゴーヌの生命力の強さの表れでもあったのだ。

なぜアンチゴーヌは死を選んだのだろう。「今すべて欲しいの。今すべてを感じたい」私はこの一言が全てなのかもしれないと、この問いの先に感じた。
父から受け継いだその傲慢さが逆に彼女を死へと導いたのだ。
そう思うと、彼女の自己満足に付き合わされ全てを失ったクレオンはむしろ被害者だ。同じ立場に立たされた者として私は彼があの物語の後に幸せになる事を密かに願わずにはいられなかった。


「アンチゴーヌ」を観て、圧倒されたという言葉が一番最初に頭をよぎりました。
前日にあらすじを調べてから行ったのですが、実際に見てみると難しくて頭が追いつかなかった所がありました。そのせいもあり、面白かったというよりか、「アンチゴーヌ」という少女の考え方、よくよく考えてみれば、兄を埋葬したいだけなのことのはずなのに、自分だけ違うという感じ、まとめられないのですが、よく分からない感動と言っていいのか、そのようなものが観ていて、心に残りました。
そして、アンチゴーヌが自分から暗い穴に入って行くシーンの演出が印象的で、片腕をあげながら穴に入って行く、これにはアンチゴーヌなりの最後の抗いなのか、全てを受け入れてのあの行動なのか、不思議で印象に残りました。
圧倒されたと最初に言っていましたが、これは見終わった後に、他の舞台なら感想などがポロポロ出るのですが、この舞台はいい意味で有無を言わさない感じがしました。


まず、劇場に入ってすぐ客席と舞台の距離の近さに驚きました。舞台の形は事前に調べていたので想像していたのですが、あまりにも近い舞台に、始まる前からわくわくしてしまいました。
開演してからは、静かな劇場に足音だけが聴こえて、たくさんのキャストさん達が4方向から出てきて、目がもっと欲しいと思うくらい見回してしまいました。緊迫感がもの凄かったです。
この劇は、音響が少なく感じましたが、足音や服がなびく音、役者さんの呼吸の音などがリアルでアンチゴーヌの世界観に惹き込まれました。

私は初めて「アンチゴーヌ」を観ました。どんな話なのか知りませんでしたが、アンチゴーヌの最初の方の台詞でばあやに言い訳をしている所で、「野原が私をまってたの!」みたいなことを言う所かからどんどんと引き込まれていきました。最初は、難しい話かなと思ったりもしましたがどんどんと世界に引き込まれていきました。私は演劇部の公演で大きな舞台に立てたらいいなと思ってきましたが、この作品をこの小劇場で見ることが出来てとっても近くて、小劇場の良さを感じました。こんな舞台も立ってみたいと思えました。そして、私も蒼井優さんのような色々な演じ分けや、細かな演技が出来る役者を目指したいと思いました。表情とか、身体のちょっとした動きが「本当にこういう状況になったらそういう反応するだろうな」という動き、反応だったのでそれが素晴らしかったです。


良かった点
舞台と観客が近いと思いました。単に距離が近いというだけでなく、役者さんの演技の力で自分たちが劇の世界観に引き込まれたような感じがしました。
照明が舞台を引き立てて、舞台の空気を作っていると思いました。特に主張するわけでもなく、気づいたら舞台の空気が出来上がっている感じがすごいなと思いました。

気になった点
音響で大きすぎる部分があった
演出上、音響の音を大きくする部分があるのは仕方ないと思いますが、それにしても大きすぎると思うところ(アンチゴーヌが衛兵に連れていかれるところ)がありました。
舞台の形は十字でなくても良いのではないか?
確かに、横を見る動きがあるので観客は飽きないと思いますが。知らない人と目を合わせてしまったり、死角が出てきたりしてしまうので、十字ではなく、円形や単なる長方形に近いような形の方がすべての客席から舞台全体が見え、良いのではないかと思いました。


劇場に入った瞬間、異様な緊迫感と静けさに包まれました。舞台の形が十字架でその周りに客席がある形は、なんとなく自分もその舞台の一部になったかのような気持ちになります。開演するまでの数分間、声を出すことにどこか緊張を覚えたのはきっとわたしだけじゃないと思います。
内容は難しくて、もう一度観たらちゃんと理解出来るところがあるだろうなって思いました。
考えたことは、大人とはどうなったら大人になるんだろう、ということです。大人になりきれていない子どもと、子どもから卒業しきれていない大人。似てるけど、ちがう。
自分は今、子どもでも大人でもない年齢なので、余計にそうゆうことを考えてしまうのかもしれません。
観た人それぞれが、それぞれの思いを抱く作品だなって思いました。
舞台と客席が近くて、前列の人は手を伸ばしたら届きそうなくらい近くで役者さんが演じていました。役者さんの息遣い、熱量、とてもエネルギーを感じました。
元々蒼井優さんが好きだったのですが、今回初めて出演されている舞台を観て、さらに好きになりました。本当に人の目を惹きつける人なんだなと思います。
またもう一度観に行きたいと思います。


今回の劇の何よりの見所はやはり舞台が十字になっていたことで、観客がこれほどまでに一体している劇に私は初めて出会いました。舞台と席がとても近かったため、蒼さん、生瀬さん初め俳優の皆さんの体からにじみ出る雰囲気や瞬きさえも感じることができ、生声だったことでさらに臨場感を掻き立てられました。また、アンチゴーヌが十字の中央にスコップを刺すシーンや、腕を広げて体を倒れたシーンはキリストを想起させられ、全体的に2時間とは思えない濃密な劇でした。最後に砂が落ちてくる演出は墓を連想させるだけでなく、すべてが崩れて粉々になっているような様子を表しているように感じられ、難しい劇ではありましたがすっきりと見終えることができました。
さらに、私は舞台の照明にとても感動しました。四つの簡素な電球、地面や壁を照らす長方形のサス、アンチゴーヌが実際に処刑される際の舞台の横についていた蛍光灯のような無機質な光、砂が落ちてくる時の照明、すべてがシンプルであるのに一つ一つに意味があってとても考えさせられました。


今回の観劇は駅から劇場に向かう通路でアンチゴーヌのポスターを何気なくみて写真をとるところから始まりました。私はまず劇場に入って舞台に驚きました。
四角や丸の舞台が多く、十字になっている舞台は初めて見たのでこれは今までに見たことのない劇になりそうだと思い、最初からわくわくしていました。ポスターと十字の舞台と向かい合った椅子を見ただけでこんなにも心躍るものかと思いました。
ストーリーについての記憶はあまりありません。
覚えているセリフは
「人生は愛読書だ」
「やりたいときにやるの」
のこの2つです。
なぜこれが残ったのか、はっきりとした理由は分かりませんが。
理解力の乏しい私はストーリー自体はまあまあ理解出来たものの、何が伝えたいのかをはっきりと読み取ることはできませんでした。
私は今回の舞台で蒼井優さんのお芝居が一番心に残りました。
生瀬勝久さんももちろんなのですが、女性であるという点が私の中で大きかったようです。
この劇ではじめて演技の勢いで涙が出ました。自分自身が演じている訳では無いのに、まるでアンチゴーヌの人生をその時間だけ生きたようなそんな感じがしました。蒼井優さんがアンチゴーヌとして出している感情が全て乗り移ってきた気がします。
カーテンコールとの差が凄かったです。2回目の時にほかの役者さんを気遣ってでた動作がとっても可愛かった。
さっきまでの気迫はどこへ行ったのかと。演技でこんなにも変われるのかと思いました。
特に目での感情表現と立ち方の表現がとても勉強になりました。
素晴らしいお芝居をありがとうございました。
カーテンコール後の私は放心状態でした。気持ちが演技によって舞台に持っていかれたためです。
放心状態のままみた行きと同じポスターは、全く違う雰囲気でした。
こんなにもいい疲れを与えてくださったアンチゴーヌ関係者の皆様、ありがとうございました。


まず最初に、舞台の形に驚きました。十字型の舞台は初めてだったので、どのように使うのか気になっていました。
また、椅子が向かい合っておいてあるだけのシンプルな舞台装置も好きでした。
上演中はただただ、役者さん方の演技に圧倒されました。一言一言から感情が伝わってきて、舞台の世界に引きずり込まれるような感覚になりました。また、舞台の下の客席を使うことで、その感覚が更に強まっているように感じました。死を前にしたアンチゴーヌの本心を聞いたとき、切なさで胸が締め付けられるような思いになりました。静かな空間から始まり、だんだんと盛り上がっていき、最後はまた静かに終わる、というのが綺麗でした。最初と最後の方のピアノの単音の「ポーン」という音がとても好きでした。上手く言葉に出来ないのですが、最初は「これから何か起こる予感がする音」、最後は「この出来事がやがて忘れ去られていく音」という感じがしました。一番最後の砂(?)の演出もとても綺麗で素敵でした。
演技、音響、照明、物語、どこをとっても本当に素敵な舞台、作品でした。
本当にありがとうございました!


ストーリーが難しかったのですが、観ていくうちになんとなくわかりました。舞台は映画やドラマとは違って役者のそのままの声が聞けるので、より一層迫力を感じることができました。
今回の舞台は観客が役者を囲む形で、360°いろんな角度から役者の演技が見ることが出来て楽しかったです。舞台だけではなく、客席の近くでも演技をしていたので面白かったです。
私が驚いたのはなんと言っても裏方で、照明の技術が凄いと思いました!特に、細長い光ができてその光に役者が当たった時はとても綺麗でした。普段の明かりも役者の顔が綺麗に見えて自分たちの演劇でも参考にできるところは是非させていただきたいです。私も今やっている演劇で照明を担当しているので頑張ろうと思いました。
今回の観劇を通して思ったことは、舞台は無限でたくさんの楽しさ、面白さがあるということです。次の演劇では私も役者になって演技がしたくなりました。
素敵な機会をありがとうございました!


蒼井優さん、生瀬勝久さんをはじめとしたプロの方の劇を見て、学ぶことが本当にたくさんありました。まず声量と滑舌です。私は声量を大きくしようとすると怒鳴り声になってしまいやすいのですが、役者の方々の声はよく通っていて聞き取りやすかったです。どのように練習しているのかぜひ教えていただきたいです。次に表情です。動きを大きく、ということは私たちもわかっていますし動こうと努力していますが、表情があんなにわかりやすいのは凄いなと思いました。そして私がなにより驚いたのはセリフを同時にいう部分です。きっとものすごくたくさん練習したのだろうと思いますが、相手の顔を見てるわけではないのにぴったり合わせられていたのでとても感動しました。
十字の舞台は初めて見たのでこんなふうに使えるのかと驚きました。照明では、まっすぐ直線に照らす白い光をどうやって照らしているのか気になりました。音響の音は少し大きくて何回かびっくりしましたが迫力があって良かったです。


古典物のプロの劇を見たことがなかったのでとても貴重な経験でした!
そのような機会をいただきありがとうございました。

あらすじを理解するのが難しそうだなと思っていましたが語りがあったこともあってストーリーが把握しやすかったです。
また、舞台装置も斬新で驚きました。
十字に舞台があり、客席が壁に囲まれていることから客席も同じ空間にいるかのような気分になりました。
照明では一直線にのびてる光が印象的でした。
壁に当たって太陽や月を連想させて空間の作り方が綺麗だなと思いました。
役者さんの演技も圧巻でした。長ゼリフが多いのにお客さんを引き込ませる工夫がされていました。舞台をたっぷりつかい役者を近くに感じられ、劇の中にお客さんを入れてあげるスペースを作っているような気がしました。


今回の劇「アンチゴーヌ」を見終わった後
私が第一に思ったことは「難しい!」です。
あらすじは理解できましたが登場人物の心情を理解できないところばかりでした。長ゼリフが多くワードは沢山入ってくるのですがどれがキーワードでどう捉えればいいのかぼんやりしてしまいました。その結果、この劇が何を伝えたかったのかよく分かりませんでした。


後半色々書きましたが素人はこんな風に思うんだくらいに思って下さい。
プロの演劇を観てたくさんの感銘を受けました。ありがとうございました!


アンチゴーヌを見たあと、私はこの話の主題について考えた。見終わった後は、子供と大人の話だと思ったが、少ししてからは愛の話とも思った。最初にそう思ったのは、最後の辺りのシーンが印象に残っていたからだ。アンチゴーヌと王様の言い合いでや婚約者と王様の言い合いで、「大人」「子供」と言う単語が出てきた。「大人の在り方」「子供の在り方」と言うことに主人公以外の登場人物たちは縛られているように思えた。逆に、主人公は自分の思う通りに生きていて、その世界観において異質に見えた。それが話に凹凸を与えていると思った。後者を思ったのは、アンチゴーヌの姉が言っていたセリフだ。「アンチゴーヌが私たちを繋いでいる」このセリフから、アンチゴーヌへの愛が感じられた。それによって、姉は死のうとし婚約者は死んでしまった。また、王はアンチゴーヌへの愛が無いわけではないが、国民への一種の愛で動いていると感じた。なので、この話は、誰かへの愛で動いていると思った。
音響と照明について。
ムチの音響で、今までリアリティーがあったのが、浮いて聞こえた。いっそ本当に叩けばよかったのに、と思った。また、照明で一本線の灯りの演出がとてもよかったと思う。


私はあまり観劇をする方ではないんですが客席に入ってまず、舞台演出に凄く驚きました。自分はよくある長方形の舞台を想像していたので十字のかたちをしている舞台を見た時には驚くとともにこの後どんな劇が待ち受けてるのだろうと期待に胸をふくらませていました。

劇中は役者さん方の迫真の演技を見て圧倒されてました。この悲しみをこの人はこうやって表現するんだな、など考えながら見ることが出来てとても勉強になりました。

照明で、細い直線のように光を当てるような照明を初めて見て緊張感や決して交わることのない二人(アンチゴーヌとクレオン王)の考えなどを表現しているようでとても好きでした。

今回のこの観劇を機に色々な劇を見て回りたいと思いました。とても貴重な体験をさせていただきありがとうございました。


最初にアンチゴーヌの舞台の作りに驚きました。4つの場所から見ることができ、角度によって役者さんの見え方が全然違うという舞台の作りにとても驚かされました。

顔の表情が見えなくても、その人が今どんな顔をしているのか想像できてしまうほど背中からの表現力が高く感動しました。けれども、自分が想像している表情と実際にその俳優さんの表情が同じなのか気になりました。今回私はBブロックから観たので、全ての角度からみたいと思いました。

2時間の舞台があっという間に過ぎるほど見入ってしまいました。蒼井優さんが演じるアンチゴーヌは顔の表情、声色、しぐさ、全てがすごかったです。ドラマで演じていた役柄と全然違い、同じ人なのかな?と思うほど人が違くみえ、プロのすごさを目の当たりにしました。

そして生瀬勝久さんの演技を生で見ることができたのがすごく嬉しかったです。画面ではなく生でみるとやはり感じるものが違くて、顔の表情や声のトーンは、他の誰にもクレオンという役を演じられないと思いました。言葉で表せないほど感動しました。私の中で一番印象に残っているのは目つきです。演じているとき、セリフがないときも目で語っているのがすごかったです。目でお芝居をする俳優さんは素敵でした。

今回の舞台を観て、私は改めていつか自分もこんなふうに舞台に立ちたいと思いました。ありがとうございました。


まず一番驚いたのが客席と舞台との距離、事前に距離が近いというのは知っていたけど本当に驚いたし有名な俳優が目の前で芝居をしているというとがとても嬉しかった。同じ時間を共有出来ているというか本当にその場所にいるかのような感覚でした。自分が舞台上で芝居をしているかのような感覚。
いくつか舞台を観ているし古典もいくつか知ってるがあの臨場感、空気感を肌で感じれたのはとても幸せでした。
舞台を観たという表現より舞台を体験したという表現の方が正しい気がします。
主演の蒼井優さんの演技も素晴らしかった。
美しさの中の狂気みたいなのも感じられた。
生瀬勝久さんの演技も大変素晴らしく迫力がありかっこよかった。
プロの凄みというものを改めて分分かりました。
だけどあの距離感なので全くごまかせないなと…セリフを噛んだのか間違えたのか分からないが言い直しが何回かみられて少し気になった。
多分、いわゆる普通の劇場(プロセニアム形)の舞台なら少し気になる程度なのだろうが、あの近距離だとだいぶ気になるし客席も舞台に平行に向いているので演技をしている場所によっては観にくい所があり残念だった。が、目の前で演技をしている時の迫力はものすごかったのでそこはあまり気にならなかった。
本当に凄いと思います。
蒼井優さんが仰っていた“本当“を感じれました。
初めて本物の“良いもの“を観た気がします。

凄く貴重で充実していて楽しい時間をありがとうございました。


十字型の舞台でその周りを囲むように観客席が並んでいるので、役者の後ろ姿しか観えない時もあったのですが、後ろ姿からでもわかる心情や話相手の反応でどんな表情をしているのか予測するのも楽しかったです。
今座ってる私しかみれない角度からの絵だと思うととっても貴重で最後の砂みたいでした。
エモンとクレオンが舞台をおりて言い争うシーンがあってほんとに間近で、エモンは背中向きだったのですが背中からも空気からも緊迫感や怒りや焦りや悲しみの心情がぐわーっと伝わってきて大迫力でした。
あと最初の方のエモンがアンチゴーヌに愛してると言うのが愛が伝わってきてこっちまでドキッとしました。
役者さんは自由に呼吸して見て話して聞いて動いているようにみえるぐらい自然で生きてました。
そこにまるで偶然のようにセットや音楽や照明が心情にぴったりあっていて素敵でした。
なにより憧れの蒼井優さんが少女で純粋で繊細で触ると壊れてしまいそうなほど綺麗でした。
観れてよかったです。ありがとうございました。


この物語は、ギリシア悲劇ということで、やっぱり、複雑な人間関係や難しいセリフばかりだと思い、正直すこし身構えていたのですが、そんな必要はなかった!その時代のお芝居にあまり馴染みのない私でも、心から楽しめた作品でした。「悲劇」なのに、楽しかったです!

ユーモアのある台詞、日光を思わせる照明の美しさ、俳優の皆さんの驚くべき表現の豊かさに引き込まれて、気づいたら口をあんぐり開けて観ていました。

このお話の奥深さは、人生経験の少ない私たちには完全に理解できないかもしれません。でも、アンチゴーヌもエモンも物語の中では「大人のなりかけ」で、私たちも同じような立場だと思います。彼らは周りの「大人」たちにいろいろ言われたり、反抗したりする中で、必死に自分を見つけようしていました。その姿は自分たちに重ねられて、考えさせられることも多かったです。大人になるとはどういうことなのか。この舞台は、私たち若者が観るからこそ生まれるものが、何かあるような気がしました。


私は劇場に入ってまず、十字の舞台に衝撃を受けました。そしてその舞台には形の違う2つの椅子だけ、劇場に入った瞬間からもう「アンチゴーヌ」の舞台が始まっているようでした。シンプルで不思議な空間にいるうちに、これから始まる舞台がどんどん楽しみになっていきました。
 開演後はこの世界にどんどん飲み込まれていきました。特殊な舞台を有効的に使った演出は、あの空間を色々な場所に変え、色々なことを表現していました。状況を想像しながら観る今回の舞台は今まで観たものとは少し違い、難しかったけれど、楽しかったです。蒼井優さんの役の変化がとても興味深かったです。乳母に甘える少女、姉のイスメーヌと話す妹、婚約者のエモンを心から愛するひとりの女性、クレオンと対立する女性…たくさんのアンチゴーヌがそこにいました。全てを知っても死ぬことを選んだアンチゴーヌ、そんな彼女を愛した人々、それぞれの思いがひとつひとつの言葉からも伝わってくる演技でした。
 今回はバルコニー席で観たので、1階席で観るものとはかなり違った観え方だったのかなと思います。最後の処刑のシーンで民衆が集まってきたとき、客席の人たちがその民衆のように思えたりもしました。次は1階で…。もう一度見たいなと思える舞台でした。この作品に出会うことができてよかったです。


先日は、『アンチゴーヌ』を観劇させていただき誠にありがとうございます。ご感想の方では、プロの俳優さん達は声量がすごくはっきりと声が聞こえました。また、早口なところがちゃんと聞こえるのもすごさを感じます。特に蒼井さんと生瀬さんのシーンの所が声量と早口に関しては1番印象に残っています。セリフのテンポの素早さがすごく展開を期待させてしまいました。特に生瀬さんと衛兵役の佐藤さんのシーンでセリフのテンポがお客様をアピールさせるように私は感じます。私はこの2つのシーンが大好きです。観劇をさせていただき本当にありがとうございました。


正直あまり具体的に何がという手応えがありませんでした。残っていたのは妙な高揚感。なぜか。何であれ展開が巧妙であったいうことは言えると思います。場面がブツ切れになることなく、連続性を保ったまま展開されていく物語。一瞬聞き間違えかと思うようなさりげないフランス語のMが転換を潤滑に進める支えになり、場面の中ではいつのまにか次の展開に備えてすでに照明が変化していて思わず上を見上げるなんてことも(逆に、後半では畳み掛けるようにカットを多用していたのも印象的)。これら全てが小劇場の特色を生かした、役者同士と観客の特徴的な位置関係をもたらす舞台設計のもとでこそ成り立っていたと考えると、企画が立ち上がった段階から関係者の皆さんの間では明確なゴールのイメージとそこに至る道筋が共有されていたようにも思えて、ただただすごいというか、少し恐ろしくも感じました。その上で、それでも学生主体の劇団との一番の差は演者さんの力量なのだと感じさせられる、そんな素晴らしい演技を目の当たりにできたのは何事にも変えがたい体験でした。


バイトが伸び、帰るのが遅くなった。新しい靴が擦れて、電車の中で立つことすらしんどかった。最寄りの駅に着くと、変に安堵したのか、階段で転けた。恥ずかしい。急いで立ち上がり、膝の埃を払い、散らばった荷物を集め、さっきよりも早足で歩いた。誰も声を掛けてくれない、当たり前、けれども急に寂しくなった。何の為に頑張っているのだろう。自分のいる場所が嫌いになる。家に帰ると想像よりも傷は深く、ずきずきと痛んだ。家に帰るまで気付かなかった。どうして気付かなかったのだろう。

鈍感になる事がいつのまにか正義になった。だけど、小さい頃に吸った空気の味が、無性に恋しくなって、涙が出そうになる時がある。

分からないは面白い事。そう思っていられる自分でありたい。でも、間違っているのかもしれないとも思う。そこに不安がある。

十字の舞台はどこから見ても必ず死角があり、照明は観客である私達まで照らす。知らぬ間に私は劇場の一部になったような感覚を覚えた。私はどんなに役でこの劇場に存在するのだろう。

「アンチゴーヌ」学生モニターの皆さんより感想文が到着しました!

本日初日を迎える舞台「アンチゴーヌ」、ゲネプロをご覧になった学生モニターの皆さんより、ご感想が届いております。気になっているけれどもどんな作品なのかもう少し知りたい…という方はぜひこのみずみずしい、ストレートな感想をお読みいただき、ご参考にしていただけたらと思います。


まず、セットのみどころは十字架状の通路である点だとおもいます。これにより、観客が十字のあいだに入って、より俳優にちかくなります。役者の表情だけでなく、肌の質感や衣装の質もわかりました。私にとっては、映画ではわからない、俳優が役に入っていく瞬間が体感できたことが、一番たのしかった。
一方、アンチゴーヌのストーリーが、精巧なドラマですが、私にとって感情移入はできませんでした。それは、王女が最初から死にたがっていて、結果死んでいき、その点では人間として発展性がないように見えたためです。ただ、この劇は元来そのような趣向なのかもしれません。


蒼井優さんの真っ直ぐとした目線が、何かを残酷な目線で物事を見ているようで、アンチゴーヌそのものでした。本当に手で触れられそうな距離に役者さんがいるので、物語にのめり込んでしまいました。貴重な体験をしたと喜びを感じています。あの会場だからこそ、あの近さで最も良い演出が出来たと思いました。
服装もセットもシンプルな作りになっていましたが、とても分かりやすい演出だと思いました。私は自分を突き通せなければ死んだ方がマシだという若さゆえの狂いと、生きるためならどんな事でも犠牲にするという大人ゆえの狂いがぶつかり合うところが一番面白い所です。
個人的に印象的だったのは最後に衛兵があれだけアンチゴーヌ達に関わっていたのに、仲間達と最初のように呑気に何事もなかったかのようにトランプをしているところが残酷だなと感じました。でも、きっと歴史はそうやってたくさんの人に忘れられていくことの方が多いし、私自身も衛兵達のように何かを忘れているのかな思いました。


まずは役者についてです。
それぞれが大きく動いていて、とても見やすかったです。そして喋っていない役者もしっかりと話を聞いていて不自然な感じはありませんでした。
しかし、声が所々小さくなってしまい聞き取りづらい部分がありました。またしっかりと照明の当たる部分に入っていない部分がありました。顔が暗くなってしまい表情が見えなくて分かりづらかったです。
 次に音響です。
全ての曲がカットアウトだったのがもったいないような気がしました。フェードアウトか、あげてからカットアウトなどでもいいのかなと感じました。
 照明は道の真ん中のラインが特に好きでした。
白いラインを塗っているわけでもないのにそこだけ光っていてとても不思議な感覚でした。私の友達も、そのラインを不思議がっていました。
 上に書いたことが見てて感じたことでした。プロがやっていることは自分達とはレベルが違うなと感じ、とてもいい刺激になりました。本当にありがとうございました。


私はこの人寄りの人だ、と、思って観ていても、話者が変わると、この人のこともちょっと分かるかも、と、思い、でもそうすると、そんな風に分かりたくなんかない、と、思う、正しいのか正しくないのか、善なのか悪なのか、といった、二元論では答えが出ませんでした。

十字になった特設ステージが、観客が俳優を取り囲むようなステージが、それに沿ったように真っ直ぐ伸びる白が、中央で交わる二本の白が、何のためだったのか、アンチゴーヌが横たわったとき、なるほど、と、息をつきました。

激しい音響や、照明変化の回数が限られている分、一つ一つの表現がすごく重く、自分にあたってきました。

新国立劇場で観劇させていただくのは、今回で3回目でしたが、どの公演を観ても、「ああ、これが新国立劇場なんだな」という、読後感のようなものを感じ、どの公演を観ても、私がもっと年をとって、おばあちゃんになってから、また観に来て、今日のことを思い出して、自分の生きてきた年月を噛み締めたいな、と、思います。


私はあまり観劇をする方ではないんですが客席に入ってまず、舞台演出に凄く驚きました。自分はよくある長方形の舞台を想像していたので十字のかたちをしている舞台を見た時には驚くとともにこの後どんな劇が待ち受けてるのだろうと期待に胸をふくらませていました。

劇中は役者さん方の迫真の演技を見て圧倒されてました。この悲しみをこの人はこうやって表現するんだな、など考えながら見ることが出来てとても勉強になりました。

照明で、細い直線のように光を当てるような照明を初めて見て緊張感や決して交わることのない二人(アンチゴーヌとクレオン王)の考えなどを表現しているようでとても好きでした。

今回のこの観劇を機に色々な劇を見て回りたいと思いました。とても貴重な体験をさせていただきありがとうございました。

「レミング~世界の涯まで連れてって~」高校生モニターより感想文到着!

「レミング~世界の涯まで連れてって~」初日公演を観劇した高校生モニターの皆さんから感想文が到着しました!
感性研ぎ澄まされた若い皆さんの生の声です。
どうぞご覧ください!そしてぜひ劇場で、同じ感動と興奮を味わっていただけたらと思います!

今日もまた、何処かで殺される。まだ明るいうちから始まった歌に、ギターが入り、昂ぶって、黒板を引っ掻くような、時にネズミの類の鳴き声のような、不快なその音に心を掻き乱される。そして暗闇の中、強く乞われるのだ。「連れてって」
舞台に現れた沢山の線は枠を作って、それはマンガや映画のコマの様にも、窓の様にも、空いた穴の様にも、私たちを閉じ込める壁の様にも、ぼんやりとした夢の様にも見える。どれにも見える。
私は女子高生であるが、あの人からした「あの子」でも、好きな子でも、夢に描いた一人でも、唯の塊の一部でも、殺す対象でもある。どれでもある。確かにある。
誰にも、何にでもなれる私たちは、いつかかかる「カット」を信じ求めて生き続ける。裏切り、裏切られながら。殺し、殺されながら。本当の私は何なのか。終わりは何処なのか。分からない。知りたい。そして最後に私は乞うのだ。
一番最後で良いから、世界の涯まで連れてって。

私が今までに観たことのある舞台とは全く違う雰囲気で、衝撃を受けました。舞台上で何が起こっているのか、よくわかりませんでした。ストーリーではなく、哲学のエッセイを読んでいるような気分になりました。
また、劇中、なんとなく不安な気持ちにもなりました。その原因は、先の見えない構成や、不協和音の効果的な音響などかなと思いますが、不快な不安感ではなく、むしろその不安定感を楽しんでいた気がします。
終始リズムに囲まれていて、楽しかったです。言葉遊びや足音だけでなく、囲碁の音でも表現していて面白かったです。綺麗な整列なのに不規則なリズムを刻んでいたりというギャップが楽しかったです。
映画、夢、壁、など様々なキーワードが出てきてとても混乱しました。正直、難解で主題がわからなかったです。しかし、自分にさらなる教養がついたら、もう一度観てみたいなと思いました。

 ポスターに描かれた「バベルの塔」は僕に神の醜さを思わせた。古代オリエントの人々は神を崇めるばかりに神の世界へ行きたいという夢を持った。そんな欲望を脅威に感じた神は人々を民族という正方形に閉じ込め、言語という正方形に閉じ込め、人間たちにそれぞれ部屋を与えた。その部屋の壁はどれも同素材、同面積の正立方体。まるで都市に敷き詰められた住居のようだ。しかし、それでも閉じ込められた人間たちの夢という欲望はリズムを刻み続ける。正立方体の部屋の中に閉じ込められているという現実から目を背けるように。皆、他人も自分さえも心を病んで、いや、病むことを恐れて、夢のような現実を演じているのだ。でも彼らは所詮、神に部屋の中に閉じ込められた身であるから、お互いを理解することもできず、受け入れることもできず。ただ他人が欲しい、愛が欲しいと嘆いて他人を殺すんだ。そしていつか現実に気づいてしまった時叫ぶ「これは私の見た夢じゃない」。でも、それはあなたの夢だよ。自分で見てるんじゃないか。僕はあなたの勝手な夢をいつでも世界の涯に捨てて、世界に溶け込むことができたのに。ずっと隠してやってきたんじゃないか。なぁ、頼むから、僕のところにいてくれよ。帰ってきてくれよ…あ、やっとわかったよ、君は僕なんだ。僕は君で、君は僕。互いが自分自身だから、会話もできず見ることもできず。自分の夢に気づくことができないんだ。
この人間たちの醜い姿はまるで欲望にかられる「レミング」そのもののようだ。
正立方体の中に世界を見た少女は呟くんだ「私を世界の涯まで連れて行って」。「天上まで届くような高い、大きな塔を作って」。「私は神を殺してやりたいの」。

「レミング~世界の涯まで連れてって~」は12月20日(日)まで東京芸術劇場 プレイハウスにて上演中!
当日券は開演の1時間前より受付にて販売いたします。
皆様のご来場をお待ちしております!

「バトルフィールド」高校生モニターより感想文到着!

「バトルフィールド―戦い終わった戦場で―」は昨日初日を迎えました。

お客様はそれぞれの感想を抱きながら、本作をご覧になっていたように思います。

この「バトルフィールド」の公開ゲネプロをご覧になった高校生モニターの皆さんから、感想文が到着しましたのでご紹介します。瑞々しい言葉の数々で綴られた素直な感想をどうぞご覧ください!

そして、皆様もご観劇いただき、それぞれの感想と比べてみていただけたらと思います。


上演時間が70分とは思えないほど、体感時間がとても長く感じた。ただし、退屈ではなかった。舞台装置も至ってシンプルで、照明や音響が派手に動くこともなかったけど、役者が一人一人自分の口でこのストーリーを私たちに伝えてくれた。エネルギッシュだった。その上私は、丁度、世界史の授業でグプタ朝を習っている。ダールマやバラモンも。だからこそ、私はこの4人がどんな言葉を届けようとしているのかが字幕によって妨げられていると思った。あれほど英語をつらつらと話しているのに、日本語で表現されるとあれだけの情熱すらも平面的な短文に収まってしまう。これほど悔しいことはない。何故、最後、布に包まれたのか。休息とは?さっぱり分からない。これは、私の知識と経験不足か、はたまたこの劇の世界観のためなのか。エネルギーは通じたのに、何を捉えたらいいのか私が掴み忘れてしまいました。ごめんなさい。思考が通じ合える自信ができたらまた観たいです。


 「ピーター・ブルックといえば…」というと、自分は「何もない空間」をイメージする。舞台上には、具体性なんてものは決してなく、布や箱を何に用いて、広い舞台を4人でどう活用するのだろうとわくわくしていた。

音について言うと、生演奏で劇場の広さを活かした響きにうっとりした。それもあって作品の一部となり、僕には演奏者が物語の神様のように見え、楽器ですべてを司っているかのように思えた。

役者はナレーターにも明確な人物にもなり得るが、そのせいか「俳優」として人物をとらえてしまい、神様に従って動いているという風に解釈を試みた。貧者に分け与えるところは演出家と役者のユーモアが感じられ、気が抜けると同時に一体感を得た。

照明も物語るかのように、演奏者を照らす明かりは一定であり、ホリや他の明かりは世界の激動をイメージした。

9時間の超大作は少しお手上げだが、3部作の抜粋を観てみたいと思った。


ピーター・ブルック氏の作品ということで、とても楽しみにしていました。終始、神話を語るような形で客に投げかけているようでした。客は投げかけられた言葉に対しあの広い空間を想像力で埋めていかなければなりません。その作業が実に楽しく、また難しくもありました。あの新国立劇場の中劇場を今までに見たことのないやり方で、とても上手く使っていました。余計な音響などは使わず、物語の緩急を楽器でつけるのには驚きました。何とも言い表しようのない、上品な舞台だなと思いました。カーテンコールの際、役者の少なさに感動を覚えました。壮大な神話がこんなに少ない役者でも語り継げるのだと思ったからです。なぜだか分からないのですが、役者に親近感を覚えてしまいました。


私は日本語以外で上演される劇を見たのは初めてでした。

どのように内容を理解させるのかなと思ったら舞台の上の方に日本語訳が表示されました。文字を見ながら演技も見るというのは私にとって少し大変でしたが、表情や声から感情を読み取っていくのは日本語の劇とは違う面白さがありました。喋っている言葉の意味があまりわからなくても伝わってくる感情から表現力の凄さを感じました。

またこの劇は舞台装置がとても少なくて二つの黒い箱だけでした。そのため広い舞台で一人一人の動きがとても強調されていました。そしていくつかの布をいろいろな場面でいろいろな使い方をしていて面白かったです。

音響も照明も少なく全体的にシンプルな感じがしました。音響は打楽器ひとつだけでした。その演奏で始まり終わるというのがなんだか不思議で世界に引き込まれていく様でした。

人間だけで全てを表しているようなそんな感じのする劇だったと思います。


 予備知識がほぼ無い状態で観てしまったのが一番の残念なところで、例えばマハーバーラタの登場人物やあらすじなどを知っていればもう少し分かりやすく観ることができたのかなと思う。

 シンプルな舞台がとても印象的であった。創っていく側がとてもたくさんの事を考えた上で最小限まで物を削っていったのだなと感じた。照明の変化、舞台上の移動だけで場面の場所だけでなく時間も飛び越えていけることに驚いた。

 一番印象に残っているのは戦場に何百万もの死体が大地を埋めているというような表現の時で、果てし無い大地の広さと空虚さ、満たされない心の渇きなどを感じた。勝利を素直に喜ぶことができない状況と戦場で散っていった兵士への愛惜の念。

4人の役者の関係がコロコロと変わっていくのを布などを使ってよく表現していたと思う。

創っていく側がとてもたくさんの事を考えた上で、最小限のシンプルな状態まで情報を削っていったその過程を観てみたいと感じた。

もう一度観たらなにか分かる気がする。


日本語以外の言葉を使った芝居を観るのは初めてでした。だから、字幕を見ながらというのも初めての経験でした。初めは字幕を見ながら演技をみるというのがとても忙しく感じました。でも、みているうちにそれにもなれてきて字幕を見なくてもわかるところは演技をみることに集中できて、わからないことは字幕をみることで、どんなことを話しているのかわかるし、日本語にはないような言葉や表現があって楽しめました。

また、舞台上がとてもシンプルになっていることが印象的でした。最初はこれをどうやって使うんだろうというものが沢山あったけれど、芝居が進むにつれて、色々なものに変わることがわかって、とてもおもしろかったです。


今まで観た舞台と違い、物語を演じるというよりも語るという感じがしました。舞台中の音響がほとんど太鼓のみで、照明も変化があまり激しく、また、舞台に置かれている小道具もほとんどない中でも、役者の衣装やその時の感情の表しによって場面が変わったんだなと感じることが出来ました。

今回は、役者さんが全て外国人で英語で舞台が進んでいたのと同時に上に日本語訳を映したスクリーンが設置されていましたが、その配置場所がとても役者と近かったための、日本語訳を見ながら劇も見れてとても便利でした。

私は、日本語の舞台しか見たことがなかったので英語で進められるBattlefieldを楽しみにしてました。観ててとても興味深い劇でした。ありがとうございました。


 新国立劇場中劇場の舞台は、幅も高さも奥行きもある。この大きな空間を、ほぼ道具を使わずに、たった4人で埋めること。それが素直に凄いと思った。埋めるのには「音」が大きく影響している。広い空間に役者の身体から発される「音」と演奏者の奏でるジャンベの「音」が響き、一見余っているかと思われる空間は、すっかり舞台の世界の一部になっていた。何もない、殺伐とした、戦場。照明も全く主張せず、ただ自然に、しかしとても効果的に働く。「音」や「光」は、役者を際立たせる。 

 こうした研ぎ澄まされた空間で、素材―役者本来の持つ身体性は最大限に引き出され、観客は「生きた人間」を強く感じる。演出家ピーター・ブルックは、時代も場所も状況も全く違う私たち観客に、『マハーバーラタ』と現代社会を自然に重ね合わせて観るように仕向けたのだ。登場人物も私たちも同じ「人間」であり、争うことはいつの時代でも愚かだ。そして同時に、自分を正当化したり相手を責めたりはせず、互いに尽くしあうことの大切さを教えてくれた。

 『完全な善人も悪人もいない。』

 戦争に勝ったって何の意味もない、そう悟った王は敵も味方もなく世界のすべてを愛し、尊大な王になっていった。相手の立場に立って。支えあって。そんなことは当たり前のことのようだけど、今の私たちが生きている社会では本当に当たり前だろうか。世界が著しく変動する中で、人間の変わらない真理を説く『Battle field』は、まさに今世界で上演すべき現代の舞台だ。


 私は、外国の方の劇を観るのは今回が初めてでした。日本とはちがう表現の仕方、迫力の違い、演出のつけ方の違いなど、たくさんの違いがあったように感じました。

字幕が出ることも新鮮でした。劇と字幕を両方観なくてはならないので、劇中は大変でしたが、理解しようとするのがかえって良いのでしょう。

それが良いか悪いかは人それぞれだと思いますが、このように違う文化に触れることができたのでよかったです。


私は今回の「battlefield」で初めて英語の劇を観ました。

海外作品に触れる機会が少なかったのでとても新鮮でしたが、正直に言いますと翻訳を自分の目で追いかけるのに精一杯で内容を理解するのにとても苦労しました。それは、私が慣れていないせいと、物語が私にとって難解だったからです。なので、家に帰ってから「マハーバーラタ」について少し調べてみました。 

すると、マハーバーラタはインドの叙事詩であり世界最大量の詩からなっていて哲学的で、ある種の精神論のようなものだと分かりました。

戦争や死を泣かせるような台詞で派手に言う劇も素敵だと思いますが、静かに、沈黙の中に見出すような劇に出会えて幸せだと思いました。今この時代だからこそ、内容を理解した時に初めて心に響くようなbattlefieldを面白いと思いました。


「バトルフィールド―戦い終わった戦場で―」は、29日(日)まで!

28日(土)の昼公演終了後には、演出のマリー=エレーヌ・エティエンヌによるアフタートークショーもございます。

次はいつ観られるかわからないピーター・ブルック作品です、どうぞお見逃しなく!

「オレアナ」絶賛上演中!高校生モニターより感想文到着!

パルコ劇場11月公演「オレアナ」は11/6(金)にプレビュー公演を行い、11/7(土)無事に開幕いたしました!

連日たくさんのお客様が劇場で本公演を観劇後、考えこむような表情でお帰りになっています。

では、「オレアナ」はどのような作品なのか?

それを一言でご説明するのは困難ですので、ゲネプロをご覧になった高校生モニターの皆様から、沢山の感想文が届きましたので、そちらをご紹介します。お読みになって、どのような作品なのかを想像し、気になったらぜひ劇場へお越しいただけたら嬉しいです。(ネタバレになるかもしれない部分も全て掲載しています。ご注意くださいませ。)

きっと、あなたにはあなたの感想が生まれることと思います。たくさんのご来場をお待ちしております!

20151103_d4s8869s_2(舞台写真撮影:引地信彦)


まず最初に舞台セットに驚きました。

傾いてる空間はとても新鮮に思えました。

少し異世界感を感じました。この世界ではないようなあるような…そのセットがさらにこの劇にのめりこませたのだと思います。

 

芝居が始まり、設定を理解するのに少し時間がかかりました。それは私がただ単に理解する能力が足りていないからなのかもしれませんが。

理解してからは少しずつ、でも確実にのめりこんでいきました。

 

照明は時間の変化、心情の変化と共に変わっていってるのも良かったです。

スポットの当て方、話の流れに合っていてかつ話を表現するようでした。

舞台が進むうちにどんどん暗くなっているのは話している時間帯もありますが、私は教授の心情と感じました。また生徒が助けてくださいと出ていく時のライトはまさに心情を写していて役者との演技とも重なりより印象的でした。

うしろのほうの影だけの表現はものすごくよかったです。

最後の教授が手をあげるところは緊迫感がつのりよかったです。

 

教授が怒るところは紙や道具(本など)が飛び散ることで緊迫感や恐怖を感じました。

 

生徒の衣装チェンジもだんだんとしっかりしたものになってきたのは印象的でした。

どんどん生徒自身もしっかりと、威圧的になっていったのだと感じました。

 

最初は教授が話し、生徒がそれを聞くという一方通行な会話でした。二幕の前半は2人の会話になり、そして後半は生徒が話し、教授がそれを聞くという立場の変化にも圧倒されました。

あんなにわからないと困ってうろたえることしかできなかった生徒が、自分の言葉で自分の意見を話しているのを観て、この劇は教授の転落物語でもあり、同時に生徒の成長物語なんだと感じました。

 

まさに舞台セットや小道具、証明、音響、衣装、そして役者の演技、すべてが合っていたと感じました。


私はこれを見たすぐの感想は、セクハラをする嫌な先生という強い印象だった。

時間の経過で女生徒が強く意見を発信できるようになっていて、教授と2人で話したことがきっかけで1幕から2幕への彼女の変化が生じたと思った。

しかし、顧問の先生と帰り道、感想を言い合っているときに気がついたが、この作品を先生目線で見ると、どうやら苦しいらしい。

先生からしてみれば、何故学校に来ているのか、なぜ勉強するのかの意味が分からない生徒の理解を少しでも深めてあげたいと思うのが一般的な行為だろう。だから、そんな生徒をほってはおけないという気持ちが芽生えた。

その気持ちの表現法が今回はたまたま不可思議な方向へと進んでしまっただけであって、先生の言動は常識の範囲内であったのだ。

生徒は先生へ好意を示すことも当然あるが、その際に過度なボディータッチをされても先生はそれを生徒にやり返すことは、訴えられるリスクが高いということだ。あまりにも先生とは理不尽なものだ。


二人芝居を初めて観たので、とても新鮮でした。細かい仕草や表情にも役になっていて2人の世界に引き込まれました。2時間があっという間でした。二人だけのセリフのやりとりでこんな風に人を引き込むことができるのはすごいと思いました。

相手のセリフを受け止めて自分がセリフを言ったり、動く、ということが前提で演技しているので、二人の言っていることが段々と噛み合わなくなっていくのが面白かったです。

休憩を挟んで2人の立場が逆になったり、衣装が変わっていくことに驚きました。

二人が立って並ぶと、志田未来さんの方がとても小さいのに、舞台に立つとパワーがあり、大きく見えたのですごいと思いました。

部屋のセットが細かいところまでリアルに作られていて、照明も普通の部屋の雰囲気に作られていて良いなと思いました。傾斜があることに驚きましたが、そこで何の違和感も与えずに演技するのはすごいと思いました。

難しいところもあったので、もう一度観たいと思いました。


舞台が始まってまず思ったのが舞台が特徴的だったということです。角度をつけた舞台に驚きました。

そして、数多くの本を積み重ねているところや、本棚に詰められた本により、ここは部屋で本をよく読む人がいるんだなと理解することができました。

家族の写真が立てかけてあるなど本当に細部にこだわっていて感動しました。

 

2人での芝居ということで、会話の掛け合いがスピーディーでそして、感情の変わっていく様など、すごく見ていてワクワクしました。電話がかかってくる演出は掛け合いにストップをかけたり、肝心なところで邪魔をしたりと、見ている僕まで今くるのか!と、思ってしまいました。

 

そして、話が進むにつれて田中さんと志田さんの立場の優位が変わっていく様子が謎が解けていくような気がしていき、さらにわくわくしました。

立場が変わっていくのに合わせて、2人の衣装にも変化がでていたのも細かい演出を感じました。

 

感情をむき出しにする演技から冷静に相手を追い詰めていく演技、必死に相手に理解してもらいたい演技や相手を諭す演技まで自然なその演技に感動しました。

 

このオレアナという舞台は本当に細部にこだわっているものだと感じました。この舞台を見ることができて本当に良かったです。あっという間の2時間でした。


この「オレアナ」という劇は、私が16年間生きてきた中で一番衝撃的で、今後の人生でも重要な劇となっただろう。

私は初めて、「物語に感動して」とかではなく、役者の芝居というもので涙した。圧倒されたという言葉では語り尽くすことのできない、一瞬心臓が止まったんじゃないかと思うぐらいの、どきりとするような芝居だった。それは、二人の目線、目力、眉の動き、ちょっとした動作、距離感が、今まで感じたことのないような衝撃を感じさせてくれたのだと思う。

志田未来さんの、あの真っ直ぐな目は本当に素晴らしかった。相手の台詞を聞いているときでも、何かを訴えているような目。初舞台だからこその初々しさを残しつつ、且つ力強い目力には、開いた口が塞がらなかった。

田中哲司さんは、ベテランなだけあり、「背中」で語る・聞くという芝居が、とても印象的だった。相手の表情が見えなくても、相手のことばをきちんと受け取る、これぞ本物というものを観せてもらった。

そして二人の距離感については、近くなったり遠くなったり、物凄く近くなったり物凄く遠くなったりと、その二人の心の距離のような気もした。空間を上手く利用しており、また、キャッチボールのように、距離によってボールの投げ方を変え、攻め方・守り方を変え、同じ台詞を繰り返しているとしても感じ方がまるで違った。距離ひとつでこんなにも良いものになるということを改めて実感した。

役者のちょっとした動作は、全てにおいて意味があるような気がした。無意味な動作なんて存在しないが、何か大きな変化を、たった数秒の小さな動きで表現しているように見えて、台詞を言っているときは勿論、無言のシーンや、聞いている側の役者の芝居にも目が釘付けになった。今どうしてこの動作をしたのだろう、どういう気持ちで動いたのだろう、ということを、ひとつひとつ考えさせられた。それだけでも私の目には涙が溜まっていた。

 

正直、この劇の「意味」だとか、「伝えたいもの」は、勉強中の私には解らなかった。周りの友人は、いつも抽象的な表現で演劇を難しく語る。だから皆、この劇を観た直後は「解らなかった」「観るのに体力が必要だった」など、全然自然体で楽しめた様子ではなかった。私は周りの友人より頭は良くないが、その分今回の「オレアナ」を楽しんで観ることができたと思っている。この劇は難しい。考えることはとても良いことだが、難しい劇だからこそ、解んない解んないと思う前に、感じるものがあったのではないだろうか。周りより感性や表現力が劣っていると思っていた自分だったが、この劇は私の考え方をがらりと変えさせてくれて、少し自信をつけさせてくれた。人生観が変わったのだ。

「オレアナ」は、私にとって最高の出会いであった。この出会いは、一生忘れない。


チラシをよく見ないで観たのですが、どんな話かすぐわかる進め方でいつの間にか魅入ってしまいました。

2人の役も最初は先生にスムーズに感情移入をしてしまいました。それに伴って生徒にイライラをしてしまいましたし、淡々と難しい言葉を使いながらの話からどう話がガラッと変わるのかと思いました。

その合図は電話の音で分かりました。電話の音が鳴り響く度に先生と生徒の壁を表してる気がしました。最後に幕が降りて来ると同時に電話の音を鳴り響かせた方が終わりがいいなぁと思ってしまいました。電話をしている時の志田さんの表情と目線がとても自然でその時も何かを訴えているものでした。

先生もだんだんと論破?をされていく様は可哀想にも思えてきましたし壊されていく様も無残でした。

後半の最初で、前半のネタばらしが始まりましたが今までの生徒の振りまいは素なのかそれともみんなのために演じたのか少し分かりづらかったです。長い二人劇を初めて観たのでほんと役者の才能があらわになるものだと知りましたし、2人の演技は本当にプロを感じさせ役ではなく素ではないのかと思うほど自然なもので中だるみもなくて考えさせられる劇でした。


この劇ではコミュニケーションの難しさを考えさせられました。教授にとってはそんなつもりではないことでも、法律的に解釈すると「セクハラ」になってしまう。ささいな言葉のあや、感じ方の違い。人の価値観はそれぞれ違うものですが、その結果がこれだとしたら私たちはどうあるべきなのか。思わず考えてしまいました。キャロルが「理解してほしい」と訴えていましたが、これこそコミュニケーションの最たることだと思います。

演劇的な観点でいうと、まず照明が素晴らしかったです。時の変化がランプやスタンドライトなどで表されていて、今がどんな時なのかしっかりわかりました。特に印象的だったのは奥の部屋の影。とても良かったです。役者の演技も立場の逆転、教授の変化に気づいたキャロルの怯え方、教授の焦燥感がよく伝わって来ました。キャロルの服装がラフなものから事務的なものに変わっていくも印象的でした。何より舞台装置が細かい。教授の机に写真が置いてあったのは、驚きました。全体的に「オレアナ」という作品を伝えきる劇だったと思います。


観劇の感想ですが、まず、斜めっている舞台を今まで見たことのなかったので舞台を斜めにするという発想が面白いと思いました。その斜めになった舞台やキャロルと教授の距離などを利用して一幕ニ幕それぞれの教授と生徒の立場や二人の関係が現れていました。また、立場が変わることお互いの感情も逆転していて面白かったです。

 

あんな長くて意味の難しい長台詞をスラスラと言えることもすごいと思うが、何よりも先生と生徒それぞれの感情の細かい変化の表現が客席からとても感じられるほど役に入り込んで、その役としてあの舞台という時間を過ごし、演じていたことに驚き感動しました。

このようにお互いの感情がそれぞれ観客に伝わることで内容が難しかったりしても、キャストが理解してるだけで内容が明確になり観客にもわかるって気がしました。

 

私はオレアナの内容をほとんど知らずに観劇させて頂きましたが、先生と生徒のコミュニケーションの難しさを学んだと共に劇の内容について深く考えさせられました。ありがとうございました。


とにかく純粋に怖いと思いました。自分が相手にとって得になること、優しさだと感じるだろうと思っていることが全く別のものになってしまう、それだけでショックを受けることなのに、立場の違い、周りの目によって人生が壊れていく。どちらが正しいのかも分からず深い沼に落ちていく気分でした。

そんな風に思わせたキャロルの一幕から二幕での豹変ぶり、そしてそれに伴うジョンの焦り。戸惑い、衝撃を受けました。

舞台装置は今まで見たことの無い形、そしてリアリティに富んでいて見ていて飽きないものでした。一幕では割りとジョンの方が下手の高い部分で語ることが多かった気がするのですが、二幕で立場が逆転した時にはキャロルの方が下手に多くいた気がし、傾斜があることで各々の威圧を一層強く感じました。

一つ違和感を覚えたのはジョンがキャロルに対してついに怒りをぶつけた時の、彼女を叩く音です。電話の音や先に書いたように装置が現実的だったのでいきなり音が入り驚きました。(本当に叩いてほしいわけではないです)

ただ、その違和感は悪いというわけではなく彼の堪えてきたものが爆発したシーンの時のものだったので、それまでとは全く別の音を聴いたことで印象的にもなりました。

内容が濃く、謎も沢山残っています。キャロルが最初にジョンの部屋にきた目的は何だったんだろう、など。でも、それらを考えて謎に包まれることが今作の面白いところだと思いました。その面白さにまだまだ浸っていようと思います。

ありがとうございました。


終始、どちらの言い分が正しいものなのか、誰が間違っているのかが分からなかったのですが、それがとても良かったのだと思います。人間のエゴイズムの根底を、「性差別問題」というテーマで表現できていました。どうにかして、自分が上の立場にいるということを確証付けるために、理不尽なことや屁理屈で争いをしていくうちに、どんどん人間の、傲慢であり、醜い部分の沼にはまっていく。その光景を観ている気がしました。

また、田中哲司さん、志田未来さんの演技が圧巻でした。田中さんの人間臭さが染み込んだ演技、そして堕落していく様子に目を奪われました。志田さんの第二幕の変わりようは目を奪われました。これはいったい同一人物なのだろうかと疑うほどでした。さらに、二人の会話している一瞬一瞬がとても素敵で、あの広い空間をしっかりと埋めていてやはりさすがだなと思いました。関係性の逆転、どこでディスコミュニケーションが生まれたのかがとても分かりやすかったです。それは、栗山民也さんの演出無しではありえなかったと思います。


私はオレアナを観て、理想郷を追い求めたが絶望的な状況に陥る題名通りの不条理演劇だと思いました。

 劇中、キャロルとジョンは両者共に事実に沿った正しいことを言っていますが噛み合っていません。そして常に2人の間に権威、権力による上下関係が存在して心の距離を表すかのような2人の距離に違和感を覚えました。そして、最も気になったのはキャロルのジョンに対する疑問の多さと態度の変化です。彼女は「わからない」と言った後に彼を訴え、自分の主観に基づく申立書を委員会に提出した訳ですが、私は分からないのではなく、分かろうとしなかった事に不条理さと2人のズレがあると思いました。分かろうとしないことは、コミュニケーションを否定することです。オレアナではセクシャルハラスメントをテーマにしていますが、相手や物事に関して目を背けずに理解することは私達の生活や社会でも必要になると思います。

 オレアナは私にとって楽しい、面白いだけの演劇だけでは止まらない現代人が考えなければならない演劇だと思いました。


オレアナは二人芝居ということで、とても気になっていた作品です。

机やその上の小物、椅子、積み上げられた本など、とても細かく作られていたので、途中からはお芝居を観ているというより、現場に居合わせてしまったような気分になりました。

登場人物も2人だけなので、長台詞が多かったのですが、相手が話しているときに、しっかりと相手の台詞を聞いているところがすごいと思いました。特に、最初のジョンが妻と電話をしているシーンは、キャロルのひとつひとつの言葉を聞き逃さない演技が印象に残りました。

2人は部屋の中を歩き回りながら台詞を言いますが、部屋のそこら中に椅子や机など、座れる小道具があり徐々に変化する2人の距離感が感じられました。キャロルはジョンを最初からはめようとしていたのか、本気で被害を受けたと思っているのか、まだ自分の中で結論は出ていませんが、セットが傾いているのは、お金や権力ではない立場の最終的な差を表しているのではと考えました。

キャロルの衣装がだんだん高価なものになるのも、それを表しているのだと思いました。2人の豊かな表情の変化も素晴らしかったです。最初、キャロルは単位が取れないことに切羽詰まり、ジョンはそれを慰めるような紳士的な態度でしたが、キャロルがセクハラを訴えてからはその立場がだんだんと逆転していき、最後の方は完全に最初とは真逆になっていたところが考えれば考えるほどおもしろいです。その過程の中でも表情、口調が変化していました。

ジョンはキャロルに振り回され、だんだん壊れていき、最後はキャロルの一言で今までの全てが爆発し、暴力を振るうシーンはとても恐ろしかったです。セットの奥に客席からは人の影しか見えない部屋があることにより、舞台の限られた空間が広く感じられ、その中を逃げ回る暴力のシーンは、緊迫感がありました。内容はとても深く複雑ですが、2人芝居というシンプルな構成で、難しいお芝居が苦手な私でも楽しんで観ることができましたし、とても勉強になりました。貴重な機会をありがとうございました。


今回、オレアナを鑑賞させていただき、舞台とジョンの関係が物語が展開して行くのにつれてマッチしていくのが印象的と私は思いました。ジョンの大人の落ち着いた雰囲気、しゃべり方は、いかにも大学の教授のようで、そのジョンの人物像に似合ったあの舞台はジョンだけの空間、心の中のような気がしました。キャロルがジョンの空間に踏み込んできて、最初は彼も歓迎して、ジョン色に染めようとするのですが、どんどん彼女が暴走して行き、彼の空間をめちゃくちゃにしていくようでした。

また、物語の中で電話が何回も掛かってきていたのは、彼の心の中に入ってこようとする外部の物達の様に思えました。彼の不安が、理想だけで固められた彼の空間を、邪魔するように見えました。キャロルは、舞台の上では悪役のようでしたが、きっと、あの空間はジョンのものだから、それを壊そうとするキャロルは悪く見えるのだと思いました。だから、あの研究室は、ジョンの心の中とイコールできるのだと、思いました。


観劇中は終始理不尽さを感じていました。

自分の言葉で話しなさいと言われて書いたレポートを否定されるキャロル。慰めてあげようと思ってとった行動や言動がセクハラだと言われ告訴される先生。理解し合おうとせず自己中心的になっている2人の関係性が八百屋舞台で視覚的になり、ダイレクトに伝わってきてとても息苦しかったです。それと同時にとても考えさせられました。

この2人のすれ違いは、相手の価値観を理解しようとせず伝え方の工夫をしなかったために起こってしまった。その光景が滑稽にも思えたし残酷だとも思いました。下心を含んだ言葉や傷付けようとして言ったわけではないのに、受け取る側にとってはとても重く意味のあるものになる可能性がある。そのことに気付きさえすれば自分の行動を改めて、誤解を招かないようにできたかもしれない。それはこのセクハラという問題以外のどの人間関係にも言えることで、自分にも身近なものだなと感じました。ドキュメンタリーよりもメッセージの強さがあって、2人芝居だからこそ見える関係の深さが面白かったです。


幕が上がって最初に思ったのが、舞台の形がすごいということでした。斜めに傾いている舞台を見るのは初めてだったので、驚きました。柱や壁などのセットの色の感じは、ペンキで手塗りをしたのかなと思いました。大きなセットを手塗りしていたなら、とても大変だっただろうなと思いました。鏡がくすんでいて、普段使っているようで良かったです。電話のベルは実際に電話をかけて鳴らしていたのかなと思いました。タイミングも合っていて現実味が出ていて良かったです。裏に回った時に影で表現するのも良かったです。とても印象に残りました。

演技については、キャロルの言葉の弾丸攻撃が感情がこもった上で聞こえやすいのが良かったです。ジョンの頼むから座ってくれというセリフではお互い目を合わせてないのが印象に残りました。ジョンが指標の話をしている時の目の暗さが印象深かったです。キャロルの手で口を押さえていてもセリフが聞こえるところが良かったです。ジョンの電話の演技が本当に相手がいるみたいで良かったです。キャロルのジョンに肩を触られた時のビクッとしたところが演技が大きくても自然で良かったです。ジョンが一回娘と言った気がしたのですが、私の気のせいでしょうか。


私が「オレアナ」を見させていただくきっかけになったのは、いつもは全く見ない掲示板を、たまたま見たら舞台の張り紙で、何だろうと読んでいたら先生が来て、「これ今日あるけどいく?」と誘って下さり、見に行かせて頂くことになりました。

私は元々映画や舞台を見ることが好きで、演技に興味があり、とてもわくわくしながら放課後がくるのを待っていました。

幕が上がって、志田未来さんと田中哲司が見えた瞬間、私は圧倒されました。前から2列目の席だったので、セリフを言っている時の眉毛の動き方と息づかいや、セリフがない時の行動と目線など、他にもたくさんのこと全てを見る事ができました。約2時間、あの大きな舞台を2人だけで演じるのは絶対に大変な事なのに、疲れなど全く感じさせずに演じきっていて、本当にすごい方たちだなと思いました。そして、刺激になりました。

こんなに素晴らしくて貴重な体験をする事が出来て幸せでした。


まず、最初に舞台装置がとても素敵でした。本当の部屋の様で細かいところまでしっかりと作られていました。斜めになっている舞台は見やすかったです。影の使い方も素敵でした。

そして2人の演技は迫力があり、相手を意識した演技で表情が豊かで心情がよく分かりました。舞台装置の鏡がとても生かされていて鏡越しの顔に緊張しました。

2人の考えがすれ違っていく様子はみていて何だかモヤモヤしました。どちらの考えにも納得しきれず、それが逆に私に沢山のことを考えさせてくれました。何でこんなにすれ違ってしまったのか何故分かり合えないのかと考えました。すれ違いが二人の距離を広げていく。この劇はわたしに人との関係はうまくいくことだけではないと教えてくれました。相手の気持ちを考えないことが分かろうとしないことが相手との関係を壊してしまう。劇を見た後私は悲しい気持ちになりました。人間の新しい面を見た気がしてこの劇を見て良かったと思っています。


私は中学時代演劇部に所属していたので、演劇観賞は勉強になるので非常に良い経験となりました。

舞台『オレアナ』、ゲネプロ前日に軽く内容検索しましたが中々不思議なあらすじで予想つきませんでした笑

私は田中哲司さんの大ファンで、彼の出演するドラマはすべて見てました。彼の声は後ろを向いていたり下を向いていてもよく通るのですが3回ほど噛んだりセリフが抜けた時がわかりやすかったです。

志田未来ちゃんの帰るタイミングなどがセリフ待ちにしてるのがよくわかり、少々残念なのもありました。あと志田未来ちゃんが鏡にもたれ掛かった時にサスあたりから照明が当たってたのですがあれに意味はあるのかなぁと気になった一面もありました。

高校生にとっては少し大人な内容でしたが見る価値は本当にあり、寧ろ私には勿体無いくらいでした!!

あの後の状況やキャロルが訪れる前のジョンの行動や性格など想像してしまうたくさんの事を考えさせられる作品でした!

本当に良い作品を観させて頂き、感謝致します!!


 こんなにも立場が逆転する劇を観るのは初めてです。教師と生徒という絶対的な関係が、気が付いた時には壊されている。私は絶望に近いような気分になりました。「えっ」とつい言ってしまいそうでした。しかしそれがなんとも面白くて、また観たいと思わせます。

 志田未来さんと田中哲司さんのコンビもとてもよかったです。二人とも自分の世界を持っていて、それをぶつけ合っている感じを受けました。二人劇に見せないのではなく、二人劇だからこそのものにしているのがとても印象的でした。

 この劇を見れて本当によかったと思います。


装置の床の急勾配が足をすくわれ転げ落ちそう。正に大学教授ジョンの、先に起こる人生を暗示してるかのようだ。豪華なインテリアから放つ密封空間の威圧感。廊下の壁に映る巨大で不気味な人影。それらがキャロルが後半に使う、権威、という言葉と深くリンクする。

田中哲司演じるジョンは胡散臭くて何を考えてるのか分からない、というのが私の印象だ。ジョンの行動や言動は、もし私がキャロルの身だったら同じく気持ち悪い、セクハラだと思うだろう。やり込められてるジョンを見てざまあという気持ちさえ沸いてきた。かっとなって殴るなんて最悪の教師だと思った。しかし、キャロルに対する思いの一方、双方に食い違い、誤解があるのではとの疑惑が出てきた。それが何かは難解過ぎて説明できないが、立場の違いによって生じる溝の恐ろしさを観客に突き刺さしてる気がした。観てる側の社会的地位、性別によって、捉え方も大きく変わる芝居だと思った。


志田未来さんと田中哲司さんの演技が本当にすごいと思いました。教育についてのことで、私には意味がわからない言葉が、かなりありました。ですが、演じているお2人は意味を完全に理解して話していることはあたりまえなのかもしれませんが、とてもすごいと思いました。

あと、舞台が斜めの八百屋舞台になっていて、八百屋舞台はとても体力を使う舞台と聞いたことがあるので、八百屋舞台でも疲れることなく、安定感のある演技ができていてすごかったです。

私は劇をみてとても歯がゆいかんじがしました。教授の考え、生徒の考え、どっちのほうが正しいとは言えないと思いました。生徒が教授の本を理解できなかったことは、生徒と教授の考え方や価値観や、自分が立っている場所の違いだと思いました。後半に生徒が教授をセクハラは事実で、教授が話していたことや、教授の本に書いてあったことを話しているのをみて、生徒の立場が変わったから教授の考えがわかったというか、教授の考えを使って、教授を攻撃することができたのではないかなと思いました。でも、最後に教授が生徒に暴力をふるい始めたときに、生徒と教授という関係が崩れて、完全に加害者と被害者という立場になってしまったときに、お互いがどんな立場にいてそれがお互いに思い知らされたという感じがしました。特に、最後の生徒の台詞でそれを感じました。

 

舞台美術、照明、音響、小道具などもすごいと思いました。部屋の奥に行くと影が大きくなることや、研究室の扉を開くと光がはいってきて、2人の空間と外というのがさらに感じられました。研究室は本の積み方や机の上にある書類、ソファーまでがリアルに再現されているのが、劇のリアルさとあっていたので、とてもよかったと思いました。


怖い話だった。あらすじを読んではいたが、軽くだったのでとても楽しみにしていた。

まず、舞台装置が魅力的だった。出入り口のドアが高く、教授の席がある方が低くなっていた。かなりの傾斜で役者も疲れただろうと思う。この傾斜の意味はなんだろうと考えながらみた。1つの特徴は、キャロルが大体高い方にいる。これは教授の席を低くした意味にもつながるはずだ。この話はキャロルが教授を追い詰めていくので、その権利の差を表現しているのではないかと思う。もう1つ考えたのは、性格を舞台に表しているということ。2人とも屁理屈ばかりを言い張って自分を正当化しようとしている。自分を守るため、相手を陥れるため。その曲がった性格が舞台にも表れているのではないか。平坦な舞台だと、この2人の性格や話と合わなくなるだろう。

2人芝居を初めて見たが、全く飽きない内容だった。教授がよくわかんないことをひたすら聴くところでは少し疲れたが、その度に電話が鳴るのがよかった。

俳優、女優の演技はその人そのもので素晴らしかった。


  舞台上の電話に注目して観ていました。会話のすれ違い、意思疎通できない事が人間にとってどれだけ恐ろしいのか考えさせられる舞台でした。

  まず、なぜ舞台に電話があるのか考えてみました。2人の会話がヒートアップしたり、本題に近づこうとすると電話が鳴ります。会話によるコミュニケーションでは言葉だけでなく、空気感や環境も大切です。電話がタイミングの悪いときに鳴ることで、会話の流れや空気感の重要性を表現しているのだと感じました。

 

また、妻からの電話は男に家族との生活や未来があることを伺わせます。そのことがあるからこそ、男の破滅していく様子がより悲惨に見えました。受け取り方の違いが大きな問題に発展し、1人の人間の全て奪ってしまう様子が身近な事であるからこそ、恐ろしいと感じました。

  以上の事から作品の中で電話は、会話するときに空気感が重要であり、コミュニケーションが人間にとって大切である事を強調しているのだと思いました。


 音響や照明はごくシンプルに、芝居の際立つ舞台だった。あの広い舞台を、あれだけの時間2人で満たす演技力には圧巻だ。

田中哲司さんは流石の貫禄、志田未来さんはとても初舞台とは思えない。あの終始緊張が途切れない、観ているこちらまで息が詰まりそうな張りつめた空気。この緊張を共有することでより一層、観客はこの話を他人事とは思えなくなる。

2人が同じ言葉について話しているはずなのに全く違う意味を持っていたり、受け取る言葉のニュアンスが違っていたり、そういうすれ違いの連続に追いつこうとしてどんどん引き込まれていく。言葉の面白さや可笑しさを感じると同時に、考え無しに言葉を扱っている自分の日常に怖くなっていった。自分の言葉に責任を持たなければいけないと強く感じさせられる。

常にシンプルな音響・照明だから、電話の音やラストでの照明が際立つ。舞台の傾斜は、田中さんに比べ大分小柄な志田さんを高い位置に立たせていて、視覚的に権力の高低を表しているようだった。演技はもちろん、装置や衣装、音響照明といった要素まで栗山演出で緻密に練られたとても良い芝居だ。


幕が開いた瞬間、舞台のかたちと美術に驚いた。奥に向かって床が高くなっていくのは観たことがあったが、「断片きったら三角形」のような横向きは初めてだった。お客にみやすいだけの工夫ではなく、美術の一環として扱うのかと感銘を受けた。セットはとても落ち着く色合いで、芝居の中身に集中できるし、本の積み方もリアルで面白かった。

次に内容だが、電話から始まりしかもその時間が割と長めなので、2人の関係がずっと気になり、焦らされる感じが好きだ。

1幕2幕での志田未来の変貌さに驚き、舞台初出演とは思えない、堂々さで田中哲司(先生)とやり合っていたと思う。

クライマックスに向けて照明、役者、舞台までもが躍動感を見せていたように思う。ラスト、崩れる山積みの本に荒れていく部屋と、終演後の跡がとても深く刻まれ、今も覚えている。

2018年5月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

カテゴリ


Powered by TypePad