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「バトルフィールド」高校生モニターより感想文到着!

「バトルフィールド―戦い終わった戦場で―」は昨日初日を迎えました。

お客様はそれぞれの感想を抱きながら、本作をご覧になっていたように思います。

この「バトルフィールド」の公開ゲネプロをご覧になった高校生モニターの皆さんから、感想文が到着しましたのでご紹介します。瑞々しい言葉の数々で綴られた素直な感想をどうぞご覧ください!

そして、皆様もご観劇いただき、それぞれの感想と比べてみていただけたらと思います。


上演時間が70分とは思えないほど、体感時間がとても長く感じた。ただし、退屈ではなかった。舞台装置も至ってシンプルで、照明や音響が派手に動くこともなかったけど、役者が一人一人自分の口でこのストーリーを私たちに伝えてくれた。エネルギッシュだった。その上私は、丁度、世界史の授業でグプタ朝を習っている。ダールマやバラモンも。だからこそ、私はこの4人がどんな言葉を届けようとしているのかが字幕によって妨げられていると思った。あれほど英語をつらつらと話しているのに、日本語で表現されるとあれだけの情熱すらも平面的な短文に収まってしまう。これほど悔しいことはない。何故、最後、布に包まれたのか。休息とは?さっぱり分からない。これは、私の知識と経験不足か、はたまたこの劇の世界観のためなのか。エネルギーは通じたのに、何を捉えたらいいのか私が掴み忘れてしまいました。ごめんなさい。思考が通じ合える自信ができたらまた観たいです。


 「ピーター・ブルックといえば…」というと、自分は「何もない空間」をイメージする。舞台上には、具体性なんてものは決してなく、布や箱を何に用いて、広い舞台を4人でどう活用するのだろうとわくわくしていた。

音について言うと、生演奏で劇場の広さを活かした響きにうっとりした。それもあって作品の一部となり、僕には演奏者が物語の神様のように見え、楽器ですべてを司っているかのように思えた。

役者はナレーターにも明確な人物にもなり得るが、そのせいか「俳優」として人物をとらえてしまい、神様に従って動いているという風に解釈を試みた。貧者に分け与えるところは演出家と役者のユーモアが感じられ、気が抜けると同時に一体感を得た。

照明も物語るかのように、演奏者を照らす明かりは一定であり、ホリや他の明かりは世界の激動をイメージした。

9時間の超大作は少しお手上げだが、3部作の抜粋を観てみたいと思った。


ピーター・ブルック氏の作品ということで、とても楽しみにしていました。終始、神話を語るような形で客に投げかけているようでした。客は投げかけられた言葉に対しあの広い空間を想像力で埋めていかなければなりません。その作業が実に楽しく、また難しくもありました。あの新国立劇場の中劇場を今までに見たことのないやり方で、とても上手く使っていました。余計な音響などは使わず、物語の緩急を楽器でつけるのには驚きました。何とも言い表しようのない、上品な舞台だなと思いました。カーテンコールの際、役者の少なさに感動を覚えました。壮大な神話がこんなに少ない役者でも語り継げるのだと思ったからです。なぜだか分からないのですが、役者に親近感を覚えてしまいました。


私は日本語以外で上演される劇を見たのは初めてでした。

どのように内容を理解させるのかなと思ったら舞台の上の方に日本語訳が表示されました。文字を見ながら演技も見るというのは私にとって少し大変でしたが、表情や声から感情を読み取っていくのは日本語の劇とは違う面白さがありました。喋っている言葉の意味があまりわからなくても伝わってくる感情から表現力の凄さを感じました。

またこの劇は舞台装置がとても少なくて二つの黒い箱だけでした。そのため広い舞台で一人一人の動きがとても強調されていました。そしていくつかの布をいろいろな場面でいろいろな使い方をしていて面白かったです。

音響も照明も少なく全体的にシンプルな感じがしました。音響は打楽器ひとつだけでした。その演奏で始まり終わるというのがなんだか不思議で世界に引き込まれていく様でした。

人間だけで全てを表しているようなそんな感じのする劇だったと思います。


 予備知識がほぼ無い状態で観てしまったのが一番の残念なところで、例えばマハーバーラタの登場人物やあらすじなどを知っていればもう少し分かりやすく観ることができたのかなと思う。

 シンプルな舞台がとても印象的であった。創っていく側がとてもたくさんの事を考えた上で最小限まで物を削っていったのだなと感じた。照明の変化、舞台上の移動だけで場面の場所だけでなく時間も飛び越えていけることに驚いた。

 一番印象に残っているのは戦場に何百万もの死体が大地を埋めているというような表現の時で、果てし無い大地の広さと空虚さ、満たされない心の渇きなどを感じた。勝利を素直に喜ぶことができない状況と戦場で散っていった兵士への愛惜の念。

4人の役者の関係がコロコロと変わっていくのを布などを使ってよく表現していたと思う。

創っていく側がとてもたくさんの事を考えた上で、最小限のシンプルな状態まで情報を削っていったその過程を観てみたいと感じた。

もう一度観たらなにか分かる気がする。


日本語以外の言葉を使った芝居を観るのは初めてでした。だから、字幕を見ながらというのも初めての経験でした。初めは字幕を見ながら演技をみるというのがとても忙しく感じました。でも、みているうちにそれにもなれてきて字幕を見なくてもわかるところは演技をみることに集中できて、わからないことは字幕をみることで、どんなことを話しているのかわかるし、日本語にはないような言葉や表現があって楽しめました。

また、舞台上がとてもシンプルになっていることが印象的でした。最初はこれをどうやって使うんだろうというものが沢山あったけれど、芝居が進むにつれて、色々なものに変わることがわかって、とてもおもしろかったです。


今まで観た舞台と違い、物語を演じるというよりも語るという感じがしました。舞台中の音響がほとんど太鼓のみで、照明も変化があまり激しく、また、舞台に置かれている小道具もほとんどない中でも、役者の衣装やその時の感情の表しによって場面が変わったんだなと感じることが出来ました。

今回は、役者さんが全て外国人で英語で舞台が進んでいたのと同時に上に日本語訳を映したスクリーンが設置されていましたが、その配置場所がとても役者と近かったための、日本語訳を見ながら劇も見れてとても便利でした。

私は、日本語の舞台しか見たことがなかったので英語で進められるBattlefieldを楽しみにしてました。観ててとても興味深い劇でした。ありがとうございました。


 新国立劇場中劇場の舞台は、幅も高さも奥行きもある。この大きな空間を、ほぼ道具を使わずに、たった4人で埋めること。それが素直に凄いと思った。埋めるのには「音」が大きく影響している。広い空間に役者の身体から発される「音」と演奏者の奏でるジャンベの「音」が響き、一見余っているかと思われる空間は、すっかり舞台の世界の一部になっていた。何もない、殺伐とした、戦場。照明も全く主張せず、ただ自然に、しかしとても効果的に働く。「音」や「光」は、役者を際立たせる。 

 こうした研ぎ澄まされた空間で、素材―役者本来の持つ身体性は最大限に引き出され、観客は「生きた人間」を強く感じる。演出家ピーター・ブルックは、時代も場所も状況も全く違う私たち観客に、『マハーバーラタ』と現代社会を自然に重ね合わせて観るように仕向けたのだ。登場人物も私たちも同じ「人間」であり、争うことはいつの時代でも愚かだ。そして同時に、自分を正当化したり相手を責めたりはせず、互いに尽くしあうことの大切さを教えてくれた。

 『完全な善人も悪人もいない。』

 戦争に勝ったって何の意味もない、そう悟った王は敵も味方もなく世界のすべてを愛し、尊大な王になっていった。相手の立場に立って。支えあって。そんなことは当たり前のことのようだけど、今の私たちが生きている社会では本当に当たり前だろうか。世界が著しく変動する中で、人間の変わらない真理を説く『Battle field』は、まさに今世界で上演すべき現代の舞台だ。


 私は、外国の方の劇を観るのは今回が初めてでした。日本とはちがう表現の仕方、迫力の違い、演出のつけ方の違いなど、たくさんの違いがあったように感じました。

字幕が出ることも新鮮でした。劇と字幕を両方観なくてはならないので、劇中は大変でしたが、理解しようとするのがかえって良いのでしょう。

それが良いか悪いかは人それぞれだと思いますが、このように違う文化に触れることができたのでよかったです。


私は今回の「battlefield」で初めて英語の劇を観ました。

海外作品に触れる機会が少なかったのでとても新鮮でしたが、正直に言いますと翻訳を自分の目で追いかけるのに精一杯で内容を理解するのにとても苦労しました。それは、私が慣れていないせいと、物語が私にとって難解だったからです。なので、家に帰ってから「マハーバーラタ」について少し調べてみました。 

すると、マハーバーラタはインドの叙事詩であり世界最大量の詩からなっていて哲学的で、ある種の精神論のようなものだと分かりました。

戦争や死を泣かせるような台詞で派手に言う劇も素敵だと思いますが、静かに、沈黙の中に見出すような劇に出会えて幸せだと思いました。今この時代だからこそ、内容を理解した時に初めて心に響くようなbattlefieldを面白いと思いました。


「バトルフィールド―戦い終わった戦場で―」は、29日(日)まで!

28日(土)の昼公演終了後には、演出のマリー=エレーヌ・エティエンヌによるアフタートークショーもございます。

次はいつ観られるかわからないピーター・ブルック作品です、どうぞお見逃しなく!

「オレアナ」絶賛上演中!高校生モニターより感想文到着!

パルコ劇場11月公演「オレアナ」は11/6(金)にプレビュー公演を行い、11/7(土)無事に開幕いたしました!

連日たくさんのお客様が劇場で本公演を観劇後、考えこむような表情でお帰りになっています。

では、「オレアナ」はどのような作品なのか?

それを一言でご説明するのは困難ですので、ゲネプロをご覧になった高校生モニターの皆様から、沢山の感想文が届きましたので、そちらをご紹介します。お読みになって、どのような作品なのかを想像し、気になったらぜひ劇場へお越しいただけたら嬉しいです。(ネタバレになるかもしれない部分も全て掲載しています。ご注意くださいませ。)

きっと、あなたにはあなたの感想が生まれることと思います。たくさんのご来場をお待ちしております!

20151103_d4s8869s_2(舞台写真撮影:引地信彦)


まず最初に舞台セットに驚きました。

傾いてる空間はとても新鮮に思えました。

少し異世界感を感じました。この世界ではないようなあるような…そのセットがさらにこの劇にのめりこませたのだと思います。

 

芝居が始まり、設定を理解するのに少し時間がかかりました。それは私がただ単に理解する能力が足りていないからなのかもしれませんが。

理解してからは少しずつ、でも確実にのめりこんでいきました。

 

照明は時間の変化、心情の変化と共に変わっていってるのも良かったです。

スポットの当て方、話の流れに合っていてかつ話を表現するようでした。

舞台が進むうちにどんどん暗くなっているのは話している時間帯もありますが、私は教授の心情と感じました。また生徒が助けてくださいと出ていく時のライトはまさに心情を写していて役者との演技とも重なりより印象的でした。

うしろのほうの影だけの表現はものすごくよかったです。

最後の教授が手をあげるところは緊迫感がつのりよかったです。

 

教授が怒るところは紙や道具(本など)が飛び散ることで緊迫感や恐怖を感じました。

 

生徒の衣装チェンジもだんだんとしっかりしたものになってきたのは印象的でした。

どんどん生徒自身もしっかりと、威圧的になっていったのだと感じました。

 

最初は教授が話し、生徒がそれを聞くという一方通行な会話でした。二幕の前半は2人の会話になり、そして後半は生徒が話し、教授がそれを聞くという立場の変化にも圧倒されました。

あんなにわからないと困ってうろたえることしかできなかった生徒が、自分の言葉で自分の意見を話しているのを観て、この劇は教授の転落物語でもあり、同時に生徒の成長物語なんだと感じました。

 

まさに舞台セットや小道具、証明、音響、衣装、そして役者の演技、すべてが合っていたと感じました。


私はこれを見たすぐの感想は、セクハラをする嫌な先生という強い印象だった。

時間の経過で女生徒が強く意見を発信できるようになっていて、教授と2人で話したことがきっかけで1幕から2幕への彼女の変化が生じたと思った。

しかし、顧問の先生と帰り道、感想を言い合っているときに気がついたが、この作品を先生目線で見ると、どうやら苦しいらしい。

先生からしてみれば、何故学校に来ているのか、なぜ勉強するのかの意味が分からない生徒の理解を少しでも深めてあげたいと思うのが一般的な行為だろう。だから、そんな生徒をほってはおけないという気持ちが芽生えた。

その気持ちの表現法が今回はたまたま不可思議な方向へと進んでしまっただけであって、先生の言動は常識の範囲内であったのだ。

生徒は先生へ好意を示すことも当然あるが、その際に過度なボディータッチをされても先生はそれを生徒にやり返すことは、訴えられるリスクが高いということだ。あまりにも先生とは理不尽なものだ。


二人芝居を初めて観たので、とても新鮮でした。細かい仕草や表情にも役になっていて2人の世界に引き込まれました。2時間があっという間でした。二人だけのセリフのやりとりでこんな風に人を引き込むことができるのはすごいと思いました。

相手のセリフを受け止めて自分がセリフを言ったり、動く、ということが前提で演技しているので、二人の言っていることが段々と噛み合わなくなっていくのが面白かったです。

休憩を挟んで2人の立場が逆になったり、衣装が変わっていくことに驚きました。

二人が立って並ぶと、志田未来さんの方がとても小さいのに、舞台に立つとパワーがあり、大きく見えたのですごいと思いました。

部屋のセットが細かいところまでリアルに作られていて、照明も普通の部屋の雰囲気に作られていて良いなと思いました。傾斜があることに驚きましたが、そこで何の違和感も与えずに演技するのはすごいと思いました。

難しいところもあったので、もう一度観たいと思いました。


舞台が始まってまず思ったのが舞台が特徴的だったということです。角度をつけた舞台に驚きました。

そして、数多くの本を積み重ねているところや、本棚に詰められた本により、ここは部屋で本をよく読む人がいるんだなと理解することができました。

家族の写真が立てかけてあるなど本当に細部にこだわっていて感動しました。

 

2人での芝居ということで、会話の掛け合いがスピーディーでそして、感情の変わっていく様など、すごく見ていてワクワクしました。電話がかかってくる演出は掛け合いにストップをかけたり、肝心なところで邪魔をしたりと、見ている僕まで今くるのか!と、思ってしまいました。

 

そして、話が進むにつれて田中さんと志田さんの立場の優位が変わっていく様子が謎が解けていくような気がしていき、さらにわくわくしました。

立場が変わっていくのに合わせて、2人の衣装にも変化がでていたのも細かい演出を感じました。

 

感情をむき出しにする演技から冷静に相手を追い詰めていく演技、必死に相手に理解してもらいたい演技や相手を諭す演技まで自然なその演技に感動しました。

 

このオレアナという舞台は本当に細部にこだわっているものだと感じました。この舞台を見ることができて本当に良かったです。あっという間の2時間でした。


この「オレアナ」という劇は、私が16年間生きてきた中で一番衝撃的で、今後の人生でも重要な劇となっただろう。

私は初めて、「物語に感動して」とかではなく、役者の芝居というもので涙した。圧倒されたという言葉では語り尽くすことのできない、一瞬心臓が止まったんじゃないかと思うぐらいの、どきりとするような芝居だった。それは、二人の目線、目力、眉の動き、ちょっとした動作、距離感が、今まで感じたことのないような衝撃を感じさせてくれたのだと思う。

志田未来さんの、あの真っ直ぐな目は本当に素晴らしかった。相手の台詞を聞いているときでも、何かを訴えているような目。初舞台だからこその初々しさを残しつつ、且つ力強い目力には、開いた口が塞がらなかった。

田中哲司さんは、ベテランなだけあり、「背中」で語る・聞くという芝居が、とても印象的だった。相手の表情が見えなくても、相手のことばをきちんと受け取る、これぞ本物というものを観せてもらった。

そして二人の距離感については、近くなったり遠くなったり、物凄く近くなったり物凄く遠くなったりと、その二人の心の距離のような気もした。空間を上手く利用しており、また、キャッチボールのように、距離によってボールの投げ方を変え、攻め方・守り方を変え、同じ台詞を繰り返しているとしても感じ方がまるで違った。距離ひとつでこんなにも良いものになるということを改めて実感した。

役者のちょっとした動作は、全てにおいて意味があるような気がした。無意味な動作なんて存在しないが、何か大きな変化を、たった数秒の小さな動きで表現しているように見えて、台詞を言っているときは勿論、無言のシーンや、聞いている側の役者の芝居にも目が釘付けになった。今どうしてこの動作をしたのだろう、どういう気持ちで動いたのだろう、ということを、ひとつひとつ考えさせられた。それだけでも私の目には涙が溜まっていた。

 

正直、この劇の「意味」だとか、「伝えたいもの」は、勉強中の私には解らなかった。周りの友人は、いつも抽象的な表現で演劇を難しく語る。だから皆、この劇を観た直後は「解らなかった」「観るのに体力が必要だった」など、全然自然体で楽しめた様子ではなかった。私は周りの友人より頭は良くないが、その分今回の「オレアナ」を楽しんで観ることができたと思っている。この劇は難しい。考えることはとても良いことだが、難しい劇だからこそ、解んない解んないと思う前に、感じるものがあったのではないだろうか。周りより感性や表現力が劣っていると思っていた自分だったが、この劇は私の考え方をがらりと変えさせてくれて、少し自信をつけさせてくれた。人生観が変わったのだ。

「オレアナ」は、私にとって最高の出会いであった。この出会いは、一生忘れない。


チラシをよく見ないで観たのですが、どんな話かすぐわかる進め方でいつの間にか魅入ってしまいました。

2人の役も最初は先生にスムーズに感情移入をしてしまいました。それに伴って生徒にイライラをしてしまいましたし、淡々と難しい言葉を使いながらの話からどう話がガラッと変わるのかと思いました。

その合図は電話の音で分かりました。電話の音が鳴り響く度に先生と生徒の壁を表してる気がしました。最後に幕が降りて来ると同時に電話の音を鳴り響かせた方が終わりがいいなぁと思ってしまいました。電話をしている時の志田さんの表情と目線がとても自然でその時も何かを訴えているものでした。

先生もだんだんと論破?をされていく様は可哀想にも思えてきましたし壊されていく様も無残でした。

後半の最初で、前半のネタばらしが始まりましたが今までの生徒の振りまいは素なのかそれともみんなのために演じたのか少し分かりづらかったです。長い二人劇を初めて観たのでほんと役者の才能があらわになるものだと知りましたし、2人の演技は本当にプロを感じさせ役ではなく素ではないのかと思うほど自然なもので中だるみもなくて考えさせられる劇でした。


この劇ではコミュニケーションの難しさを考えさせられました。教授にとってはそんなつもりではないことでも、法律的に解釈すると「セクハラ」になってしまう。ささいな言葉のあや、感じ方の違い。人の価値観はそれぞれ違うものですが、その結果がこれだとしたら私たちはどうあるべきなのか。思わず考えてしまいました。キャロルが「理解してほしい」と訴えていましたが、これこそコミュニケーションの最たることだと思います。

演劇的な観点でいうと、まず照明が素晴らしかったです。時の変化がランプやスタンドライトなどで表されていて、今がどんな時なのかしっかりわかりました。特に印象的だったのは奥の部屋の影。とても良かったです。役者の演技も立場の逆転、教授の変化に気づいたキャロルの怯え方、教授の焦燥感がよく伝わって来ました。キャロルの服装がラフなものから事務的なものに変わっていくも印象的でした。何より舞台装置が細かい。教授の机に写真が置いてあったのは、驚きました。全体的に「オレアナ」という作品を伝えきる劇だったと思います。


観劇の感想ですが、まず、斜めっている舞台を今まで見たことのなかったので舞台を斜めにするという発想が面白いと思いました。その斜めになった舞台やキャロルと教授の距離などを利用して一幕ニ幕それぞれの教授と生徒の立場や二人の関係が現れていました。また、立場が変わることお互いの感情も逆転していて面白かったです。

 

あんな長くて意味の難しい長台詞をスラスラと言えることもすごいと思うが、何よりも先生と生徒それぞれの感情の細かい変化の表現が客席からとても感じられるほど役に入り込んで、その役としてあの舞台という時間を過ごし、演じていたことに驚き感動しました。

このようにお互いの感情がそれぞれ観客に伝わることで内容が難しかったりしても、キャストが理解してるだけで内容が明確になり観客にもわかるって気がしました。

 

私はオレアナの内容をほとんど知らずに観劇させて頂きましたが、先生と生徒のコミュニケーションの難しさを学んだと共に劇の内容について深く考えさせられました。ありがとうございました。


とにかく純粋に怖いと思いました。自分が相手にとって得になること、優しさだと感じるだろうと思っていることが全く別のものになってしまう、それだけでショックを受けることなのに、立場の違い、周りの目によって人生が壊れていく。どちらが正しいのかも分からず深い沼に落ちていく気分でした。

そんな風に思わせたキャロルの一幕から二幕での豹変ぶり、そしてそれに伴うジョンの焦り。戸惑い、衝撃を受けました。

舞台装置は今まで見たことの無い形、そしてリアリティに富んでいて見ていて飽きないものでした。一幕では割りとジョンの方が下手の高い部分で語ることが多かった気がするのですが、二幕で立場が逆転した時にはキャロルの方が下手に多くいた気がし、傾斜があることで各々の威圧を一層強く感じました。

一つ違和感を覚えたのはジョンがキャロルに対してついに怒りをぶつけた時の、彼女を叩く音です。電話の音や先に書いたように装置が現実的だったのでいきなり音が入り驚きました。(本当に叩いてほしいわけではないです)

ただ、その違和感は悪いというわけではなく彼の堪えてきたものが爆発したシーンの時のものだったので、それまでとは全く別の音を聴いたことで印象的にもなりました。

内容が濃く、謎も沢山残っています。キャロルが最初にジョンの部屋にきた目的は何だったんだろう、など。でも、それらを考えて謎に包まれることが今作の面白いところだと思いました。その面白さにまだまだ浸っていようと思います。

ありがとうございました。


終始、どちらの言い分が正しいものなのか、誰が間違っているのかが分からなかったのですが、それがとても良かったのだと思います。人間のエゴイズムの根底を、「性差別問題」というテーマで表現できていました。どうにかして、自分が上の立場にいるということを確証付けるために、理不尽なことや屁理屈で争いをしていくうちに、どんどん人間の、傲慢であり、醜い部分の沼にはまっていく。その光景を観ている気がしました。

また、田中哲司さん、志田未来さんの演技が圧巻でした。田中さんの人間臭さが染み込んだ演技、そして堕落していく様子に目を奪われました。志田さんの第二幕の変わりようは目を奪われました。これはいったい同一人物なのだろうかと疑うほどでした。さらに、二人の会話している一瞬一瞬がとても素敵で、あの広い空間をしっかりと埋めていてやはりさすがだなと思いました。関係性の逆転、どこでディスコミュニケーションが生まれたのかがとても分かりやすかったです。それは、栗山民也さんの演出無しではありえなかったと思います。


私はオレアナを観て、理想郷を追い求めたが絶望的な状況に陥る題名通りの不条理演劇だと思いました。

 劇中、キャロルとジョンは両者共に事実に沿った正しいことを言っていますが噛み合っていません。そして常に2人の間に権威、権力による上下関係が存在して心の距離を表すかのような2人の距離に違和感を覚えました。そして、最も気になったのはキャロルのジョンに対する疑問の多さと態度の変化です。彼女は「わからない」と言った後に彼を訴え、自分の主観に基づく申立書を委員会に提出した訳ですが、私は分からないのではなく、分かろうとしなかった事に不条理さと2人のズレがあると思いました。分かろうとしないことは、コミュニケーションを否定することです。オレアナではセクシャルハラスメントをテーマにしていますが、相手や物事に関して目を背けずに理解することは私達の生活や社会でも必要になると思います。

 オレアナは私にとって楽しい、面白いだけの演劇だけでは止まらない現代人が考えなければならない演劇だと思いました。


オレアナは二人芝居ということで、とても気になっていた作品です。

机やその上の小物、椅子、積み上げられた本など、とても細かく作られていたので、途中からはお芝居を観ているというより、現場に居合わせてしまったような気分になりました。

登場人物も2人だけなので、長台詞が多かったのですが、相手が話しているときに、しっかりと相手の台詞を聞いているところがすごいと思いました。特に、最初のジョンが妻と電話をしているシーンは、キャロルのひとつひとつの言葉を聞き逃さない演技が印象に残りました。

2人は部屋の中を歩き回りながら台詞を言いますが、部屋のそこら中に椅子や机など、座れる小道具があり徐々に変化する2人の距離感が感じられました。キャロルはジョンを最初からはめようとしていたのか、本気で被害を受けたと思っているのか、まだ自分の中で結論は出ていませんが、セットが傾いているのは、お金や権力ではない立場の最終的な差を表しているのではと考えました。

キャロルの衣装がだんだん高価なものになるのも、それを表しているのだと思いました。2人の豊かな表情の変化も素晴らしかったです。最初、キャロルは単位が取れないことに切羽詰まり、ジョンはそれを慰めるような紳士的な態度でしたが、キャロルがセクハラを訴えてからはその立場がだんだんと逆転していき、最後の方は完全に最初とは真逆になっていたところが考えれば考えるほどおもしろいです。その過程の中でも表情、口調が変化していました。

ジョンはキャロルに振り回され、だんだん壊れていき、最後はキャロルの一言で今までの全てが爆発し、暴力を振るうシーンはとても恐ろしかったです。セットの奥に客席からは人の影しか見えない部屋があることにより、舞台の限られた空間が広く感じられ、その中を逃げ回る暴力のシーンは、緊迫感がありました。内容はとても深く複雑ですが、2人芝居というシンプルな構成で、難しいお芝居が苦手な私でも楽しんで観ることができましたし、とても勉強になりました。貴重な機会をありがとうございました。


今回、オレアナを鑑賞させていただき、舞台とジョンの関係が物語が展開して行くのにつれてマッチしていくのが印象的と私は思いました。ジョンの大人の落ち着いた雰囲気、しゃべり方は、いかにも大学の教授のようで、そのジョンの人物像に似合ったあの舞台はジョンだけの空間、心の中のような気がしました。キャロルがジョンの空間に踏み込んできて、最初は彼も歓迎して、ジョン色に染めようとするのですが、どんどん彼女が暴走して行き、彼の空間をめちゃくちゃにしていくようでした。

また、物語の中で電話が何回も掛かってきていたのは、彼の心の中に入ってこようとする外部の物達の様に思えました。彼の不安が、理想だけで固められた彼の空間を、邪魔するように見えました。キャロルは、舞台の上では悪役のようでしたが、きっと、あの空間はジョンのものだから、それを壊そうとするキャロルは悪く見えるのだと思いました。だから、あの研究室は、ジョンの心の中とイコールできるのだと、思いました。


観劇中は終始理不尽さを感じていました。

自分の言葉で話しなさいと言われて書いたレポートを否定されるキャロル。慰めてあげようと思ってとった行動や言動がセクハラだと言われ告訴される先生。理解し合おうとせず自己中心的になっている2人の関係性が八百屋舞台で視覚的になり、ダイレクトに伝わってきてとても息苦しかったです。それと同時にとても考えさせられました。

この2人のすれ違いは、相手の価値観を理解しようとせず伝え方の工夫をしなかったために起こってしまった。その光景が滑稽にも思えたし残酷だとも思いました。下心を含んだ言葉や傷付けようとして言ったわけではないのに、受け取る側にとってはとても重く意味のあるものになる可能性がある。そのことに気付きさえすれば自分の行動を改めて、誤解を招かないようにできたかもしれない。それはこのセクハラという問題以外のどの人間関係にも言えることで、自分にも身近なものだなと感じました。ドキュメンタリーよりもメッセージの強さがあって、2人芝居だからこそ見える関係の深さが面白かったです。


幕が上がって最初に思ったのが、舞台の形がすごいということでした。斜めに傾いている舞台を見るのは初めてだったので、驚きました。柱や壁などのセットの色の感じは、ペンキで手塗りをしたのかなと思いました。大きなセットを手塗りしていたなら、とても大変だっただろうなと思いました。鏡がくすんでいて、普段使っているようで良かったです。電話のベルは実際に電話をかけて鳴らしていたのかなと思いました。タイミングも合っていて現実味が出ていて良かったです。裏に回った時に影で表現するのも良かったです。とても印象に残りました。

演技については、キャロルの言葉の弾丸攻撃が感情がこもった上で聞こえやすいのが良かったです。ジョンの頼むから座ってくれというセリフではお互い目を合わせてないのが印象に残りました。ジョンが指標の話をしている時の目の暗さが印象深かったです。キャロルの手で口を押さえていてもセリフが聞こえるところが良かったです。ジョンの電話の演技が本当に相手がいるみたいで良かったです。キャロルのジョンに肩を触られた時のビクッとしたところが演技が大きくても自然で良かったです。ジョンが一回娘と言った気がしたのですが、私の気のせいでしょうか。


私が「オレアナ」を見させていただくきっかけになったのは、いつもは全く見ない掲示板を、たまたま見たら舞台の張り紙で、何だろうと読んでいたら先生が来て、「これ今日あるけどいく?」と誘って下さり、見に行かせて頂くことになりました。

私は元々映画や舞台を見ることが好きで、演技に興味があり、とてもわくわくしながら放課後がくるのを待っていました。

幕が上がって、志田未来さんと田中哲司が見えた瞬間、私は圧倒されました。前から2列目の席だったので、セリフを言っている時の眉毛の動き方と息づかいや、セリフがない時の行動と目線など、他にもたくさんのこと全てを見る事ができました。約2時間、あの大きな舞台を2人だけで演じるのは絶対に大変な事なのに、疲れなど全く感じさせずに演じきっていて、本当にすごい方たちだなと思いました。そして、刺激になりました。

こんなに素晴らしくて貴重な体験をする事が出来て幸せでした。


まず、最初に舞台装置がとても素敵でした。本当の部屋の様で細かいところまでしっかりと作られていました。斜めになっている舞台は見やすかったです。影の使い方も素敵でした。

そして2人の演技は迫力があり、相手を意識した演技で表情が豊かで心情がよく分かりました。舞台装置の鏡がとても生かされていて鏡越しの顔に緊張しました。

2人の考えがすれ違っていく様子はみていて何だかモヤモヤしました。どちらの考えにも納得しきれず、それが逆に私に沢山のことを考えさせてくれました。何でこんなにすれ違ってしまったのか何故分かり合えないのかと考えました。すれ違いが二人の距離を広げていく。この劇はわたしに人との関係はうまくいくことだけではないと教えてくれました。相手の気持ちを考えないことが分かろうとしないことが相手との関係を壊してしまう。劇を見た後私は悲しい気持ちになりました。人間の新しい面を見た気がしてこの劇を見て良かったと思っています。


私は中学時代演劇部に所属していたので、演劇観賞は勉強になるので非常に良い経験となりました。

舞台『オレアナ』、ゲネプロ前日に軽く内容検索しましたが中々不思議なあらすじで予想つきませんでした笑

私は田中哲司さんの大ファンで、彼の出演するドラマはすべて見てました。彼の声は後ろを向いていたり下を向いていてもよく通るのですが3回ほど噛んだりセリフが抜けた時がわかりやすかったです。

志田未来ちゃんの帰るタイミングなどがセリフ待ちにしてるのがよくわかり、少々残念なのもありました。あと志田未来ちゃんが鏡にもたれ掛かった時にサスあたりから照明が当たってたのですがあれに意味はあるのかなぁと気になった一面もありました。

高校生にとっては少し大人な内容でしたが見る価値は本当にあり、寧ろ私には勿体無いくらいでした!!

あの後の状況やキャロルが訪れる前のジョンの行動や性格など想像してしまうたくさんの事を考えさせられる作品でした!

本当に良い作品を観させて頂き、感謝致します!!


 こんなにも立場が逆転する劇を観るのは初めてです。教師と生徒という絶対的な関係が、気が付いた時には壊されている。私は絶望に近いような気分になりました。「えっ」とつい言ってしまいそうでした。しかしそれがなんとも面白くて、また観たいと思わせます。

 志田未来さんと田中哲司さんのコンビもとてもよかったです。二人とも自分の世界を持っていて、それをぶつけ合っている感じを受けました。二人劇に見せないのではなく、二人劇だからこそのものにしているのがとても印象的でした。

 この劇を見れて本当によかったと思います。


装置の床の急勾配が足をすくわれ転げ落ちそう。正に大学教授ジョンの、先に起こる人生を暗示してるかのようだ。豪華なインテリアから放つ密封空間の威圧感。廊下の壁に映る巨大で不気味な人影。それらがキャロルが後半に使う、権威、という言葉と深くリンクする。

田中哲司演じるジョンは胡散臭くて何を考えてるのか分からない、というのが私の印象だ。ジョンの行動や言動は、もし私がキャロルの身だったら同じく気持ち悪い、セクハラだと思うだろう。やり込められてるジョンを見てざまあという気持ちさえ沸いてきた。かっとなって殴るなんて最悪の教師だと思った。しかし、キャロルに対する思いの一方、双方に食い違い、誤解があるのではとの疑惑が出てきた。それが何かは難解過ぎて説明できないが、立場の違いによって生じる溝の恐ろしさを観客に突き刺さしてる気がした。観てる側の社会的地位、性別によって、捉え方も大きく変わる芝居だと思った。


志田未来さんと田中哲司さんの演技が本当にすごいと思いました。教育についてのことで、私には意味がわからない言葉が、かなりありました。ですが、演じているお2人は意味を完全に理解して話していることはあたりまえなのかもしれませんが、とてもすごいと思いました。

あと、舞台が斜めの八百屋舞台になっていて、八百屋舞台はとても体力を使う舞台と聞いたことがあるので、八百屋舞台でも疲れることなく、安定感のある演技ができていてすごかったです。

私は劇をみてとても歯がゆいかんじがしました。教授の考え、生徒の考え、どっちのほうが正しいとは言えないと思いました。生徒が教授の本を理解できなかったことは、生徒と教授の考え方や価値観や、自分が立っている場所の違いだと思いました。後半に生徒が教授をセクハラは事実で、教授が話していたことや、教授の本に書いてあったことを話しているのをみて、生徒の立場が変わったから教授の考えがわかったというか、教授の考えを使って、教授を攻撃することができたのではないかなと思いました。でも、最後に教授が生徒に暴力をふるい始めたときに、生徒と教授という関係が崩れて、完全に加害者と被害者という立場になってしまったときに、お互いがどんな立場にいてそれがお互いに思い知らされたという感じがしました。特に、最後の生徒の台詞でそれを感じました。

 

舞台美術、照明、音響、小道具などもすごいと思いました。部屋の奥に行くと影が大きくなることや、研究室の扉を開くと光がはいってきて、2人の空間と外というのがさらに感じられました。研究室は本の積み方や机の上にある書類、ソファーまでがリアルに再現されているのが、劇のリアルさとあっていたので、とてもよかったと思いました。


怖い話だった。あらすじを読んではいたが、軽くだったのでとても楽しみにしていた。

まず、舞台装置が魅力的だった。出入り口のドアが高く、教授の席がある方が低くなっていた。かなりの傾斜で役者も疲れただろうと思う。この傾斜の意味はなんだろうと考えながらみた。1つの特徴は、キャロルが大体高い方にいる。これは教授の席を低くした意味にもつながるはずだ。この話はキャロルが教授を追い詰めていくので、その権利の差を表現しているのではないかと思う。もう1つ考えたのは、性格を舞台に表しているということ。2人とも屁理屈ばかりを言い張って自分を正当化しようとしている。自分を守るため、相手を陥れるため。その曲がった性格が舞台にも表れているのではないか。平坦な舞台だと、この2人の性格や話と合わなくなるだろう。

2人芝居を初めて見たが、全く飽きない内容だった。教授がよくわかんないことをひたすら聴くところでは少し疲れたが、その度に電話が鳴るのがよかった。

俳優、女優の演技はその人そのもので素晴らしかった。


  舞台上の電話に注目して観ていました。会話のすれ違い、意思疎通できない事が人間にとってどれだけ恐ろしいのか考えさせられる舞台でした。

  まず、なぜ舞台に電話があるのか考えてみました。2人の会話がヒートアップしたり、本題に近づこうとすると電話が鳴ります。会話によるコミュニケーションでは言葉だけでなく、空気感や環境も大切です。電話がタイミングの悪いときに鳴ることで、会話の流れや空気感の重要性を表現しているのだと感じました。

 

また、妻からの電話は男に家族との生活や未来があることを伺わせます。そのことがあるからこそ、男の破滅していく様子がより悲惨に見えました。受け取り方の違いが大きな問題に発展し、1人の人間の全て奪ってしまう様子が身近な事であるからこそ、恐ろしいと感じました。

  以上の事から作品の中で電話は、会話するときに空気感が重要であり、コミュニケーションが人間にとって大切である事を強調しているのだと思いました。


 音響や照明はごくシンプルに、芝居の際立つ舞台だった。あの広い舞台を、あれだけの時間2人で満たす演技力には圧巻だ。

田中哲司さんは流石の貫禄、志田未来さんはとても初舞台とは思えない。あの終始緊張が途切れない、観ているこちらまで息が詰まりそうな張りつめた空気。この緊張を共有することでより一層、観客はこの話を他人事とは思えなくなる。

2人が同じ言葉について話しているはずなのに全く違う意味を持っていたり、受け取る言葉のニュアンスが違っていたり、そういうすれ違いの連続に追いつこうとしてどんどん引き込まれていく。言葉の面白さや可笑しさを感じると同時に、考え無しに言葉を扱っている自分の日常に怖くなっていった。自分の言葉に責任を持たなければいけないと強く感じさせられる。

常にシンプルな音響・照明だから、電話の音やラストでの照明が際立つ。舞台の傾斜は、田中さんに比べ大分小柄な志田さんを高い位置に立たせていて、視覚的に権力の高低を表しているようだった。演技はもちろん、装置や衣装、音響照明といった要素まで栗山演出で緻密に練られたとても良い芝居だ。


幕が開いた瞬間、舞台のかたちと美術に驚いた。奥に向かって床が高くなっていくのは観たことがあったが、「断片きったら三角形」のような横向きは初めてだった。お客にみやすいだけの工夫ではなく、美術の一環として扱うのかと感銘を受けた。セットはとても落ち着く色合いで、芝居の中身に集中できるし、本の積み方もリアルで面白かった。

次に内容だが、電話から始まりしかもその時間が割と長めなので、2人の関係がずっと気になり、焦らされる感じが好きだ。

1幕2幕での志田未来の変貌さに驚き、舞台初出演とは思えない、堂々さで田中哲司(先生)とやり合っていたと思う。

クライマックスに向けて照明、役者、舞台までもが躍動感を見せていたように思う。ラスト、崩れる山積みの本に荒れていく部屋と、終演後の跡がとても深く刻まれ、今も覚えている。

2018年9月

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